語り
昔あるところにある物持ちがおって、その物持ちの家に女の子が三人あって、その三人の娘はみな器量よしだったところが、奥の方の池から蛇が人間に化けて出て「娘さんをもらえんでしょうか。」って。
それで一番姉さんは「行かん」て言う。
次のお姉さんも「行かん」て言う。
それで一番下の娘さんが「よし、わしが行くから、お父さん、お別れだから町に行って法華経の本を買ってきてください。」「はあ、よしよし、そんなら買ってやろう。」て、それでお父さんは町へ行って、法華経の本を、一番難しいのを買ってくれえちゅうので、一番難しいのを買ってきた。それでそれをもらって娘さんは、その奥の池に行って、池のほとりでうずくまっておって、そのお経の本を一生懸命読んどった。そうしたら、ぶくぶく音がしたと思ったら、池の水が泡になってぶくぶくぶくぶく上がって、それから蛇が角を生やして出てきたちや。
それでその娘さんのとこへ寄ってきたので、娘さんは一生懸命読んでおった法華経の本をポーッと投げたら、その蛇の頭へ食らって角がばらばらーっと落ちて、それで蛇が往生して湖の中へ沈んでしまった。
それで娘さんは帰るちゅうわけにはいかんし、それで十二単といういい着物を着ておってもいけんから、それを脱いで篭にしまって、普段着を着てどこを当てともなく出ていったら、とうとう最後は大阪まで出たんだ。そいからあっちこっち歩きよったら、大阪の鴻池というとこへ行って、そこへ女中に使ってもらうように頼んだら、まあ、使ってやろうちゅうことになって、女中に使ってもらって昼はぼろを着て、髪もよう格好ようしられんし、そうやっておって夜になるとみんなが風呂に入ってしまって、最後になってから風呂に入って、それからこんど十二単に着替えて、それから一生懸命法華経のお経の本を読んどった。
そうしたら、鴻池の若旦那が夜遊びして帰ってきて、ふっと灯がともっておるので、その部屋をのぞいてみたら、きれいな娘さんがおっった。
さあそれを見たら一目惚れをして、それから明くる日になっても起きてこん。
「若旦那起きなさい。」言っても起きん。
「食事は。」って「食事もほしくない。」そいからいろいろ話しよったところが、とうとうこんどお医者さんに、ちゅうことになった。
それでお医者さんに診せたら「これはなんぼうわしがかかっても、薬を飲んでも治りゃあせん。どこぞこの家に好いた女がおるじゃろう。」それでこんどは家内のうちでいろいろ、あれえこれえと聞き合わせてみるけど全然、それで女中をいろいろ次から次へと呼んで、若旦那のところにお見舞いに行かせるけど、うんともすんとも言わん。そいからとうとう最後、その娘になって、うるさそうに番頭ちゅうもんか下男ちゅうのか、それが行って、「若旦那に会っとくれ。」ちゅうた。
「わたしですか。わたしはだめです。」言ったけども「それでもおまえがもう一人になっとるんだから、残すわけにはいかん。」そいからそれを連れて行って、会わしたら、むっくり若旦那が起き上がって、ご機嫌が直って、とうとうそれを嫁さんに迎えて、末永く幸せに暮らしたって。そういうことだった。
それで昔こっぷり。(伝承者:明治40年生)
解説
語り手の話では、ご自身が10歳余りの頃、祖父から夕食後によく聞いた話だったとのことである。関敬吾『日本昔話大成』本格昔話の「婚姻・異類聟」の「蛇聟入」と「蛙報恩」の合体した話が原型であるが、この語り手の話では、男親が蛇に田の水を入れてもらうとか、蛙を飲まないよう懇願し、娘を嫁に約束するなどの蛇婿入りの理由が省略されていて、しかも鴻池という財閥の名前が出てくるなど、当地での微妙な変化が見られるところが興味深い。