語り
昔あるところに、とても貧乏な貧乏な家があった。そして家だけはあるけれも、その家もまともな家じゃあない、その古ぼけた家の柱でも薪でも切り取って、ごりごり焚きたいような家だった。
さて、大歳の晩に家の取れる柱は取って囲炉裏にくべて当たっていたところが、奥の方からばりばりばりばりがちゃがちゃがちゃがちゃいわして、出てくる者がある。見るとおじいさんで、髪も口髭も白髪だらけで、ぼろなぼろな着物を着て、そしてその囲炉裏へべったりとそのおじいさんが座るのだ。そこの亭主が怒って「だれじゃ、人の家の奥の間からごとごと出てくるもんは。」と言ったら「うらはな、貧乏神じゃ。」と答える。
「貧乏神じゃと。うらの家はこれだけ貧乏して困りよるのに、何ちゅうもんが出てくるじゃ。」と言ったら「うら、この家に入りこんでから8年たつ。ずーっと他へ行こうと焦って、こんにばっかりおるじゃ。」と言った。
「何でそげ、うちばっかりおらにゃならんじゃ。これだけ難儀ぃしよるようなのに…貧乏神やなんや、まんだおってどぎゃあするじゃあ。」と亭主は言って、怒りかかった。そして、そこで焚いている燃えさしを持って、その貧乏神にぶつけたら「まあ、そげぇ怒んな。待て待て。話いて聞かせたるけえ。こん家のおっかあはな、うらの好いたことをするけえ、うらはこの家が好きじゃ。ここにいろげんじゃ(※居座る、の意味)」と言う。
「どげぇなことじゃ」と聞くと「ここいクドがあろうがな。そのクドの前へカンスを入れとる茶かすぅ、どうと移すし、そいからままぁ(※飯)食うたら、その飯粒ぅ、みんなさらえて、このクドの前へどうと移す。それぇ、まことにうらは好いとって、8年間たつけど、この家はいろげんじゃ」と言う。
「とんでもない。そげな貧乏神がいろげんようなことじゃ、どげんなろうに。」「どげんさえなりたけりゃ、このおっかあをぼい出せ。」と言う。
「そげぇなことを言うたって。」「そげぇなおっ母がこの家におったら、もう一生頭ぁ上がらん、一生うらがのさばりついとるぞ。」と貧乏神が言うものだから「そいからなあ、今度ぁこのお母ぁを追い出いたら言うて聞かせたろうか。今度はなあ、大歳の晩と2日の晩に殿さんの行列があるけぇ、そのおりに駕篭が通るけえ、その駕篭の中が殿さんじゃけえ、それぇ天秤棒を持って、その駕篭をめがけてぶちかかって、駕篭をずっと碎くじゃ。そがしたらなあ、殿さんがずっと飛んで出られるけえ」と言ったら、亭主も観念して、おっかあに向かって言った。
「8年もいっしょにおったやけど、こげぇ食うや食わずで難儀ぃしちょったらかなわん。そいじゃけえ、おまえも別れりゃあならん。どこぞへ出てごせぇ。」「そがあことを言うたって。」「そがんことを言うたって、うらはこれ以上、難儀はようせんし、貧乏神がもうこのおっかあぼい出さなんだら、もう一生頭ぁ上がらん。」いうて言うのだそうな。
そこで、仕方がないので、おっかあはしぶしぶ出て行くし、そしたら案の定、正月の2日に殿さんのお国替えで、そしてまあ、行列が通りかかった。
「下へ、下へ、下へ、下へ…。」と言って通るもんだから、それから、亭主はこのときこそと思って、殿さんだと思って、さっと早くとんで出て、「えい。」とばかりに天秤棒をたたき回ったら、なんと間違えて家来の方をたたき回っしたのだって。
「こりゃあ、やり損のうた。こりゃあ、やり損のうた。」言うと、貧乏神は「そりゃあ、やり損のうたらいけんじゃ。待て待て、今度ぁな、一週間したら殿さんはここをもどってこられるけえ、今度ぁ目落としをせ、殿さんをめがけにゃいけんで。」と言った。
それから、また一週間たったときに「殿さんが通られるじゃけえ。」と言って教えてやったら、今度は、本当に殿さんの駕篭をめがけて天秤棒でたたき回ったところ、たくさんの大判や小判がいっぱいジャゴジャゴっとその駕篭から飛んで出たそうな。
亭主はそれをかき集めて拾ったら「まあ、これで家も建てられようが。これでええじゃ。」と貧乏神が言った。そして「うらはこの家にはおれん。こいだけ金ができたら、うらはおれん。」言うて貧乏神が出たとや。そして福の神が家に舞い込んだということで、亭主は新しくよい奥さんをもらって、一生豊かに楽しゅうに暮らいたとや。
そればっちり。(伝承者:明治40年生)
解説
類話は全国的に存在しているが、さほど多いというわけではない。どちらかといえば中国、四国あたりにあるが、それ以外では数えるほどしか見つかっていない。
それはそれとして、このような話が好まれているのは、昔から貧乏なものが多く、何とかして福の神を迎えて生活を豊かにしたいという願いが、庶民の間にあったことが、このような昔話を生み出したものであろう。