語り
昔なあ、竜宮の乙姫さんが病気したりしてなあ、そして、あれこれ用いるけれど、
「これは猿の生き肝でなけにゃ治らん」いうことでなあ、
そしたら、
「まあ、猿の生き肝を取ってくるにゃ、だれを頼もう」
「まあ、亀がよかろう」いうことになってなあ、
そいでまあ、亀を頼んで、そしてまあ、そいから亀がその陸へあがって、そして松の木に猿がおったけえ、
「まあ、竜宮へいうとこを、おまえは山ばっかりおって、ちっともまあ、海の底ぅ知らんじゃけえ、竜宮いうとこを見たことがない。竜宮いうとこを見たかろうが」言うたら、
「見たい。そりゃあ」言うたら、
「ほんなら、連れていってあげるけえ、うらの背なへ乗れ」言うたら、猿が背なへ乗って、竜宮に連れて行ったじゃそうな。そうしたところが、ずーっと出迎えをしとるし、女中さんあたりが大勢出迎えをしとったそうな。
そいからまあ、竜宮へ行ったところが、いろいろなまあ、ずっと魚の舞いから、ほんにいろいろな踊りから歌からまあ、ごつうにもてないて、見たこともないような、ずっと魚のご馳走になって、そうしたところが、猿が腹をこわいて、そして病気したじゃそうな。そして、便所へ起きたところが、
「猿のばかめ、猿のばかめ、猿のあほう、明日(あす)は生き肝抜かれるぞ」言うて、クラゲが、まあ、子守歌でうたいよったそうな。
そしたところが、
”こりゃ、まあ、えらいことを聞いた。何ちゅうえらいことを…… ほんにどぎぁしったもんじゃろう”思うて、
そいからまあ、
”寝るどこでも何でもありゃあせん”思うて、どうぞこうぞ夜が明けると、亀のとこへ行きて、ずーっと泣くじゃそうな。
「何でおまえは、そげえ泣くじゃあや」言うたそうな。
猿は、
「いんや、えっと、うら、悪いことをして、陸の浜辺の松の木の枝へ生き肝を干いといたところが、夕立が来そうげで、夕立が来たら濡れるじゃろう思やぁあ、ほんにずっと、どげぇしょう思うて、ほんに悲しゅうてこたえん」言うて泣くじゃそうな。したら、
「何をそげなことを悲しむことがあるかい。また、うらの背なへ乗って、そぎゃして、そぎゃな、生き肝を干いとるじゃったら、じきぃ取ってくりゃええじゃ。その生き肝がまあ、たいへんにほしいんじゃけえ」。
そが言うて、亀が言うもんじゃけえ、そいから、
「ほんなら、まあ、乗してぇ」言うて、そいで猿が亀へ乗って、そしてまた、海へずっともどって、、そぎゃして、そいから陸へ上がると、じき、猿はごそごそっと松の木の枝(えご)へ上がっとって、何ぼしても下りてこんもんじゃけえ、
「早う下りいや。もう取ったろうな。もうずっと、もう持って下りいや」いうて亀がまあ、言うのじゃそうな。
「何がずっと、そげぇな、そげぇな下りたりするじゃあや。猿の生き肝や何やおって、うらぁ生きちゃあなんや、おられせんや。あほう言うたって、猿の生き肝や何や、そげぇな取ったり干したりするわけのもんじゃあない」いうて言うしして、それから、そぎゃんことを言うじゃけえ、しかたぁない。まあ、亀はもどるし、そいから、石ゅういっぱいこと持って上がっといて、亀の甲に何のかんのはない小石を投げたもんじゃけえ、そいでまあ、亀の甲は割れて、そぎゃしてもどって、そいやして、まあ、
「こぎゃこぎゃあじゃった」いうやあな、たいへんに叱られるし、クラゲは、まあ、そんで、大きい骨は抜かれるし、小骨は溶けるしするようなこって、クラゲは骨はのうなるし、そがして叱られたとや。
そればっちり。(伝承者:明治40年生)
解説
これはどなたにもおなじみの話であろう。