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古代山陰道ウォークを開催しました!

古代山陰道ウォークを開催しました!

 平成30年9月2日(日)に古代山陰道ウォークを開催しました!当日は、天気予報に反して晴天に恵まれ、57名もの方々に参加いただきました。
 青谷平野をぐるっと一周する5kmのコースで、青谷上寺地遺跡や青谷横木遺跡で発見された道路跡から推定される古代山陰道のルートを歩きました。
 参加者からは「現地を見ながら古代山陰道について詳しく知ることができた。」「資料がとても見やすく、青谷平野に営まれたラグーンなどの古環境と古代山陰道の関係についてよく分かった。」「これまでの遺跡個別の説明では分からなかったが、今回、遺跡を関連付けた説明を聞くことで、青谷平野の全体像が見えるようになった」などの感想いただき、大好評でした。
 次回は「古代山陰道ウォークパート2.」と題し、12月9日(日)に開催予定です。現在、青谷町周辺の丘陵上を踏査しており、その調査成果もお伝えできる予定す。また、12月2日には古代山陰道などの建設技術に迫る考古学フォーラム『古代インフラを支えた土木技術』も開催します。
 乞うご期待ください!

    横木遺跡の様子
 青谷横木遺跡の古代山陰道跡地。国内初となる柳の街路樹の発見や高松塚古墳壁画に次ぐ「女子群像」板絵の出土について解説し、現代の高速道路と古代官道(古代の高速道路)のルートが重なっている様子も見ていただきました(写真奥が現在建設中の鳥取西道路)。
    善田遺跡
 善田傍示ヶ崎遺跡周辺に残る道路地割(手前の田んぼと畑部分)。山裾に古代山陰道を示す可能性がある幅17mの地割が残っています。
    阿古山古墳の様子
 青谷横木遺跡に隣接する阿古山22号墳。巨大な横穴式石室で、実際に石室内に入って、描かれた船や星の線刻壁画をじっくり見ていただきました。
 
 この他にも青谷上寺地遺跡では古代山陰道と条里地割が一体で見つかっていること、古代における最先端技術である敷葉・敷粗朶工法が見つかったことを紹介し、鹿野城主だった亀井茲矩が青谷の港に行くためにつくったとされる亀井畷も巡りました。
 
 当日の配布資料はこちら→sannindowalk.pdf (1.16MB)
  

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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