古代山陰道の第7回踏査を行いました

古代山陰道の第7回踏査を行いました

 古代山陰道の第7回踏査を青谷東側丘陵で行いました。今回はこれまで確認できた、青谷町養郷の丘陵上にある切通しと気高町会下の「会下坂」をつなぐ中間部分が調査対象です。
 この部分は谷から山へ、そして、また谷へと下るかなりアップダウンのあるコース。踏査の結果、山の斜面から尾根にかけて、道路痕跡の可能性がある切通し状の地形や平坦面が残っていることが確認できました。幅はやはり、8~9mほどとかなり広く、その痕跡はこれまで確認された切通しを含めると、断続的ながら長さ700mに及んでいます。
 今回の踏査によって、東側丘陵を一通り横断しましたが、古代山陰道のルート復元にあたり重要な手掛かりをえることができました。今後もさらに詳細な調査を進めていく予定です。

ルート図

踏査位置図

切り通し

尾根上で確認された幅8mほどある切通し状の平坦面。

平坦面

尾根上に残る切通し状のくぼ地。

道標から見た切り通し

会下坂の頂部にある文政12年(1829年)の道標から西側で確認された切通し状の地形を望む。

[令和元年5月掲載]

  

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 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
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