古代山陰道の第8回踏査を行いました

古代山陰道の第8回踏査を行いました

 令和元年5月27日(月)に、地元の方に古代山陰道に関する情報をいただき、現地確認を行いました。確認したのは青谷西側丘陵上の、青谷町長和瀬から絹見にかけてです。

 歩いてみたところ、確かに尾根に沿って伸びる切通し状の古道を確認することができました。ただし、幅が3~4m程度と狭いこと、また、古代山陰道とすると、かなり南側に迂回するルート復元になってしまうことが問題になると感じました。とはいえ、この区間は、昨年度行った踏査でも古代道路の明確な痕跡を確認することができておらず、今後、検討をしていくうえで貴重な情報となりました。
 今回歩いた、長和瀬から絹見にかけては、因幡国と伯耆国の国境にあたる重要な部分で、今年度は航空レーザーによる地形測量も行う予定であり、今後の調査研究で明らかにしていきたいと思います。

ルート図

調査位置図

 

古道

確認した古道

[令和元年5月掲載]

  

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 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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