語り
昔。あるところにたいへんに信心をする人がおった。
その人が60日に1ぺんずつ来る庚申(こうしん)さんを本気で祭っていた。
そうしてまた次の庚申さんのときにも、一生懸命にお供えをして拝んでいた。
そのようなある庚申さんのときに、ふっと夢に見た。「いいもんやるから目を覚ませ。」と庚申さんが言われたので、目を覚ましてみたら、自分の目の前に扇が1つ落ちていたんだ。
それでその扇をほっと取りかけたら「右であおげば長くなる。左であおげば短くなる」とどこからか声がする。それだけ聞いて、その人は「ふん、ああ、目が覚めた。」と思って、それから「こんないいものもらったけん、どこぞええとこへ、遊びに出てやらい。」というので、その人はそれから次々と出て行って大阪まで出たら、鴻池の娘さんが、格子から外をのぞいていたそうな。
「よーし、こいつ1つ試いてみたれ。」と思って、右でこうあおいだら、その格子のところにのぞいて見とった娘さんの鼻が、ぐーと3尺まで伸びた。「いやー、こりゃえらいことになった。」というので、その家では大騒ぎで、いや医者だ、何だで騒いで見とるけど、いくら医者が来てもひっこまない。
「困ったもんだなあ。」と言っていたら、その人は自分がやっぱり悪いことしているから「治るもんか、治らんもんか、また治いてみにゃあいけん。」という気になって、またず-っと後に帰ってきて「えらいこの家はそわそわそわそわしとられますが、いったいどがなことですかな。」「いや、おまえたちに言ったって分からんけど、娘さんがのぞいとったらなあ、何だか知らん、鼻がいっぺんに高んなって、大騒ぎだった。」「へ-え。そりゃあ気の毒なことですなあ。いや、わたしゃあ拝むぶんですけえ、わたしでよけりゃあ、ちょっと拝がましてもらいたいですけど。」「それならええことだ。入ってごせえ。」ということで、その人は中へ入って行った。
けれども、その人は拝むことは知らないし、まあ、いいかげんなことをしゃべっておいて、それから今度は左の手でぱっと
「5寸ほど、5寸ほど」と扇いでみたら、鼻が5,6寸ほどずっと短くなる。「はーあ、こりゃええ。」と娘さんも気分がよくなってくる。
それからその人は、その晩に一晩泊めてもらって、明くる日、モモヒキを履いて家から出かけたら「あんた、どこへ行かれますか。」「いや、わしゃ用があって出ようかと思っとる。」「待ってくださいよ。ここで逃げられちゃあ困る。鼻が元の通り治るまでおってもらわにゃあいけん。金がいるなら金は出しますから。」と引き留められてしまった。
それでとうとうまたひっぱり留められて、それでも何日もいるわけにはいかないので、朝1寸、昼1寸、晩1寸ぐらいずつ、少しずつ少しずつお嬢さんの鼻を縮めるようにしていって、もう3日ほど泊まっていて、で、元のとおりに治したそうな。
そうしたら「や、こりゃ命の恩人だ。」というので、その人はたいへんにもてなしてもらい、お金ももらって、それで涼しい顔をして国へ帰ったって。
そういうこと。昔こっぽり。(伝承者:男性・明治40年生)
解説
この話は、語り手が幼少の頃、祖母から聞かせてもらったもの、とのことだった。話の戸籍であるが、関敬吾博士の『日本昔話大成』から明らかにしておく。内容は主人公が鼻を高くしたり、低くすることのできる扇をもらって、それで長者の娘の鼻を高くし、後でそれを治すことによって感謝され、幸運を得るというものであるから、普通なら「本格昔話」の中の「呪宝」あたりにありそうだが、実際はそこにはなく、「笑話」の「誇張譚」の中に「鼻高扇」として存在しているのである。