鳥取まいぶん講座第9回を開催しました。

 令和元年12月21日に、鳥取まいぶん講座の第9回(最終回)を開催しました。今回のテーマは「因幡の中世城館-因伯境目の気多郡を中心に-」で、73名と椅子だけにした会場が満席になるほど多くの方にご参加いただきました。
 気多郡は現在の鳥取市気高町、鹿野町、青谷町の地域にあたり、山名、尼子、毛利、織田などの大勢力が入れ替わりに侵入してきて緊張状態が長く続いた地域で、そのため数多くの山城が築かれました。今回の講座では、気多郡内の主な山城を紹介する中で、狗尸那(くしな)城、鹿野城をめぐり、ある時期、後に亀井茲矩公により「狗尸那城」と呼ばれた城が、別の時期に「鹿野城」と呼ばれた可能性があることなどを説明しました。

 参加者からは「狗尸那城に行ったが、城の背景が少しわかってよかった」、「鹿野から三朝へ向かう交通の重要性を知ることができた」などのご感想をいただきました。

 また、講演後に今回の講座に関連する企画展示「因幡の中世城館」の解説を行いましたが、こちらにも多くの方々にご参加いただき、今回のテーマへの関心の高さがうかがえました。

 企画展示「因幡の中世城館」は好評につき当分の間継続して展示していますので、まだご覧になっていない方はぜひお越しください。

講座のようす

当日の講座のようす

 

展示解説のようす

展示解説のようす

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令和6年度鳥取まいぶん講座申込(4月18日(木)~募集開始)


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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


埋蔵文化財センターについて


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