昭和55年(1980)11月23日、鳥取市用瀬町宮原で採集
歌詞
わしとおまえはお倉の米よ
いつか世に出てままとなる
(伝承者:明治30年生)
解説
詞章だけを見ていると、タタラ専用の内容ではないが、フイゴを踏みながら厳しい作業の中でうたわれていた詞章の一つだったのであろう。
鳥取県内でタタラ製鉄が盛んなところといえば。西部の日野郡域とか、県境を越えた島根県仁多郡奥出雲町、雲南市あたりであるので、どうして鳥取市の伝承者がタタラ歌としてこの歌を歌ってくださったのか、今となっては確認する術もない。しかし、筆者は確かに彼女からこの歌をタタラ歌として教えていただいたのである。古くには鳥取県東部地方にもタタラ製鉄は行われていたのであろうか。筆者はその昔、鳥上中学校(奥出雲町)に勤務していたことがあったが、地区内を回っていたおりに、偶然、保護者の一人がタタラの砂鉄を採るため、風化花崗岩に水圧を掛けているのを見たことがあった。また雲南市吉田町でタタラを取り出す工房を見学したことなどを思い出した。
このタタラ歌は、唐臼挽き歌や田植え歌などにも自在にうたわれる詞章である。また、筆者は昭和39年8月12日、仁多郡奥出雲町大呂で明治43年生の方から次のタタラ歌を聴いたが、実に伸びやかな声であった。
様は三夜の三日月様か
せめて一夜は有明に
たまのお客に何事ないが
立てて見せましょ金花を
タタラ打ちは金屋子様が
金の御幣が舞い遊ぶ
奥出雲町大呂といえば、まさにタタラの本場であり、公益財団法人日本美術刀剣保存協会があり、それを略して「日刀保たたら」と称しているのである。