昭和63年(1988)8月24日、三朝町山田で採集
歌詞
こちの屋敷は 繁盛な屋敷
榎(えの)がならいで金がなる オモシロヤ
(伝承者:明治42年生)
解説
「榎」のルビを「えの」としたのは、本来「えのみ(榎の実)」と歌うべきところをそのように歌われたため、つけたものである。地締め歌としてこれまでに「こちの屋敷は」で始まる歌に同じ三朝町の曹源寺地区に次のものがある。
こちの屋敷は 繁盛な屋敷
繁盛な屋敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ
オモシロヤ ヨイト ヨイト ヨイト(伝承者:明治40年生)
明けりゃお寺の鐘が鳴る
最初の詞章は、全く同じではあるものの、次の詞章は、伝承者のは「榎がならいで金がなる」と続くのに対して、解説で示した男性のは「繁盛な屋敷、鶴と亀とが舞い遊ぶ」となっていて、後半部が異なっていることが判る。今一つ地締め歌ではないが、地搗き歌として紹介した湯梨浜町浅津の歌は、
こちの屋敷は めでたい屋敷
めでたい屋敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ
オモシロヤ
オーイ ヨイサ ヨイサ(伝承者:明治29年生)
このように後半部は本項の伝承者のと同じであるものの、前述したように、歌の種類が彼女の地締め歌とは違い地搗き歌なのである。囃し詞である。「オモシロヤ」や「オーイ ヨイサ ヨイサ」は比較の対象にならないので除外して考えている。以上、労作歌に関して言えることは、歌の詞章については、歌の種類を問わず、自在に交換しながら歌われているということなのである。