昭和61年(1986)8月2日、琴浦町高岡で採集
歌詞
盆にゃござれよ
祭りにゃ来でも
死んだ仏も盆にゃくる
楽は苦の種 苦は苦労の種
思ゃ病の種となる(伝承者:明治36年生)
解説
盆踊りの歌である。最初の詞章は親しい友人にでも話しかける口調のようである。「忙しいことは判っているから、祭りだからと言って、仕事を差し置いて来なくてもよいよ。しかし、お盆には万障差し置いても来てほしい。なぜと言って、盆だけは亡くなったあの人もこの世にやって来れるのだからね」。こんなところだろう。まさに盆歌に相応しい台詞と言えるようである。
ところで、後の歌の詞章はいきなり教訓を含んだ内容になっており、これが盆歌としてあまり相応しいものとは思われないのであるが、伝承者は盆歌として話されたのだから、当方としては了解せざるを得ない。「楽は苦の種」と言われると、まことにそのとおりで反対はできない。
ただ盆歌としては、詞章の内容からしていかがかと疑問に思う。このようなとき、筆者は浜田市三隅町東大谷の方(年齢不詳)から、昔うかがった次の盆踊り歌を思い出すのである。盆歌と盆踊り歌とどう違うのか、あまり詳しくない筆者なので、このことには触れないことにする。
踊り踊るなら お寺の門で
踊る片手で 後生願う
盆は嬉しや 別れた人も
晴れてこの世に会いに来る
この歌は、琴浦町の歌と、まるで瓜二つのようによく似ているのである。