明治23年に東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の講堂兼音楽ホールとして建てられたもので、取り壊しの危機を乗り越えて、昭和62年3月に現在地に移築復元されました。
明治20年に東京音楽学校が創立されたときの初代校長は伊澤修二で、2代目の校長である村岡範為馳(はんいち)は鳥取県の出身です。
村岡は、明治19年、伊澤修二、穂積陳重ら8名と、「音楽学校設立ノ儀ニ付建議」を当時の文部大臣森有礼に提出しています。
村岡が明治25年に鳥取市で行った講演の影響を受け、田村虎蔵(言文一致唱歌の提唱者、「大黒様」「金太郎」等を作曲)、永井幸次(大阪音楽大学の創立者)、4年遅れて岡野貞一(「ふるさと」「春の小川」等を作曲)ら鳥取出身の俊傑が陸続と東京音楽学校に入学しています。