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学校教育の原点に迫る評価について

前鳥取県教育委員会委員 武田 勝文 武田委員長職務代理者の写真

はじめに

 県民の皆さん、こんにちは。 学校教育のあり方に多くの立場から疑問が寄せられる昨今、悩みつつ任に当たっている教育委員として、日ごろの取り組みや考えていることを直接知っていただけることは、とてもありがたく力づけられることです。 さて、84年の臨教審以来、国の立場からさまざまな改革が提起され導入されてきました。しかし、必ずしも所期の成果を挙げてきているとはいえません。今また、教育再生会議や中央教育審議会がスピード審議されています。鳥取県としても、提言を寄せたりより良いものになるよう尽力するのは当然ですが、出てくる法令や施策は全国を相手にした標準的なものです。したがって、それはそれとして、私たちは、鳥取県の地域性や特色を見定めて、適切な教育施策を時期を失することなく着実に実行しなければなりません。それが鳥取県教育委員会の立ち位置だと考えています。    

先生と教室が第一条件

 教育委員の身になって当然とはいえ、今までよりはるかに広く深く教育を問うようになりました。今一番気がかりなことは、学校の先生方に元気とか自信が乏しくなっているのではと思われることです。教育の第一条件は先生であることを考えれば何よりもこの問題に全力を挙げて取り組まなければなりません。 鳥取県には、小中高、盲聾養護学校にあわせて約3000余りの学級数があり、各教室で1~2人の先生が、10~40人前後の、または1~6、7人の児童・生徒と、ことばと心のやりとりを毎時間やっています。一時間一時間の教室、そこが学校教育の原点であり生産点です。    

先生の現状

 もし先生が自信に満ち元気にあふれていないならば、このことの改善に直結しない企画なり施策は二の次三の次といえるほどの重大事ではないでしょうか。しかしながら、例えば、この一年間集中審議した鳥取県の『草の根から義務教育を考える懇話会』でも、「中堅教員のアンケート」でも、現場の先生の悩みのトップは、「仕事は増えるばかりで、目先のことに追われ、年中、時間的・精神的にゆとりがないという多忙感」です。つぎが「ニーズ・教育観が多様化していて、なかなか理解・協力が得られない保護者への対応の苦慮」となっています。さらに、「職場のコミュニケーションが足りず、先生同士の協調・連携がうまくいってない」とか、「個人主義的な考えの子供が増え、クラス内の人間関係づくりがなかなか難しい」等が、続いています。学校教育の直接の受益者である児童・生徒、保護者にとって、少しでもよい方向に、少しでも早く、変わってほしい状況です。     

先生の評価はマルチ評価

 永年にわたる学校教育万能論の風潮のなか、周囲から持ちきれないほどの荷物を背負わされ、よい事は何でもしなければと、あれもこれもと駆けずり回っているのが、今の実況なのではないでしょうか。さらにその上、学校現場で、何が一番大事か、何が一番評価されることかが、共通理解のもと明確に確立されていないことが、混迷を深くしているのではないでしょうか。確かに形の上ではなされていると言われていますが、本当に確立され、共有化されているなら、先生は、これは拒否する、それは今は休止すると、やたら会議を開かなくても、主体的に決定して前に進むはずです。多くの先生方は、外見はともかく内には疲れがたまり、臨機応変に自分の力を発揮する基盤である内面の「秩序感」をなくされているのです。    

評価制度のねらい

 学校教育の問題はさまざまですが、学校がなすべきことの限定となすべきことの優先順位の順序化が、曖昧になってしまっていることが、根本問題の一つではないか、といつも思い至ってきました。人は、どこでも自己重要感を求めます。それは、社会が評価することを達成して満たされます。このことを考えると、学校教育が、評価をなじまないものとして拒否してきたことが、逆に、永年のうちに学校を弱体化させてきたといえるのではないでしょうか。
  確かに、教育の営みは、一人の人間の全体とその一生にかかわるものですから、どの時点でどの基準でその成果を量るのか、至難というより無理というべきでしょう。にもかかわらず、余りにも多く社会を揺るがす教育問題が続出し、いまは世の声に抗しきれなくなり、一般社会に準じて、評価制度を導入し、広く実施しようとしています。 こうなってしまった理由は様々あるとしても、今は、学校や教師が教育の本道を見失わず貫き通すという覚悟が不十分ではなかったかと、真剣に考えてみる時だと思います。 そうすると、現在導入されつつある学校にかかわる評価制度の意義を焦点化することはきわめて重要になります。    

顔と顔を合わせることの意味

 ところで、なんといっても教室で営まれている教育は文字どおり「なまもの」です。教科の知識も、全体の雰囲気や息づかいの中で情意に包まれてやり取りされるものなのでしょう。先生と生徒、あるいは生徒同士の命のやり取りといっていいでしょう。NHKの「課外授業ようこそ先輩」や「わくわく授業」の番組がどんなに魅力的でも、すべて録画され足りない分野を補って教科書に準拠して体系化されても、全国の教室にビッグモニターが設置されてべらぼうな人件費削減とはあいならないゆえんです。 また、教育はつまるところ自己教育だといわれます。教育者は自己教育の達人であることが期待されているといえるでしょう。少なくとも、自己教育に限りなく熱心でなければなりません。教えることはよく学んでこそはじめて成り立つはずです。自己研鑽に励み、自分の教科の奥の深さ・面白さを絶えず発見しつつ、教室に出るたびに胸のうちに学ぶことの喜びと感動が躍っていてこそ、生きた授業が自在に展開できるのでしょう。教室という場で顔と顔を合わせ知識技能が学ばれるのは、人格をとおし命にのせてこそ、本物が最上の方法で学べるからなのでしょう。 教育の本道は「感化」だといわれるゆえんです。「凡庸な教師はただしゃべる。よい教師は説明する。優れた教師は自らやって見せる。偉大な教師は子供の心に火をつける。」というウイリアム・アーサーのことばがよく取り上げられるゆえんでもありましょう。    

制度の出発点と方向

 さて、評価制度の実施に当たっては、マイナス面を極力抑え、効果が最大に発揮されるよう留意されなければならないのは当然です。先生が見えるところばかりに力を入れたり、いたずらに競争心に駆られていっそう疲弊したりすることがあってはなりません。上に述べたような教育の本道に徹しようとする先生が、智頭から境港まで、日野から岩美までできるだけ多くの学校に、できるだけ数多く生まれ育っていくように機能することが、評価制度の眼目でなければならないと考えています。
  評価制度が安心安全のなか期待をもたれて船出するためには、何よりもまず保護者や教育関係者だけではなく地域住民の方々に、もっと多く先生の姿を、児童・生徒の姿を、学校のありようを、見ていただくことが必要だと思います。ただただ、見ていただけばいいのです。隅から隅まで、何度も繰り返し、見ていただきたいのです。 そうすると、持ちきれないほどの荷物を持って子供の指一本を握ってよろめいているかのような先生の戯画が語られることがありますが、先生は、進んでこれは自分が持つべき物ではないと拒否しはじめ、あいた腕をぎゅっと曲げて力瘤を子供たちに触らせ、さあ、駆けっこしようと、軽くなった足で子供といっしょに大地をけるのではないでしょうか。子供たちは、30 年前まではそうであったような憧れのまなざしで、先生を見上げるのではないでしょうか。 一方、社会の各機関は、もともと自分たちで手間ひまかけてすべきであった広報啓発を、手軽で安上がりだと、「○○教育」の名の下に、役所を通して学校に押し付けることはもうできないのではないでしょうか。また、家庭教育の手抜きをしてきた親の問題は、保護者同士が、地域社会が、地方行政が、真剣に見つめ、社会のあり方全体を問い直さなければ解決できないと了解されるのではないでしょうか。少なくとも、親の問題は学校教育の範疇外だと社会全体で確認されるでしょう。    

「ものさし」づくりは教育の地方自治再建の最前線

 評価制度は公正な「ものさし」があって成り立つものです。この「ものさし」は、その形成過程と権威性がいのちです。共有された目標も大切ですが、今は、この「ものさし」探しを、教育のやり手と受け手が、大わらわで、くんずほぐれつやる時ではないでしょうか。つまり、学校・先生と保護者・地域社会とが、学校の限られたエネルギーのなかで、やるべきこと・やってほしいことの選別と順位付けを共通理解のもとに打ち立てることが、評価制度による教育改革の出発点です。
  教育の内容が明確になり、その優先順位が共有されれば、先生の内面にはじめて「秩序感」が生まれ、この荷物は今は置いておきこちらの荷物をどこまで運ぶか自分で決め、しっかりした足取りで進むでしょう。多忙なのは変わらなくても、むなしい多忙感に苦しむことはなくなるでしょう。競争はあっても、本道が見えなくなって焦燥感に駆られ神経症になることはないでしょう。  教育の危機は深い。今では、教育の受益者は社会全体だといえるでしょう。評価制度を危機の根元に打ち込む改革の楔として、県民みんなでしっかり育てたいものです。    

終わりに

 第1回目ということで、ついつい力が入ってしまいましたが、よいお知恵を寄せていただければと願っています。
 現在、教育委員会制度が大きな議論を呼んでいますが、「委員長と教育長とどう違うだいや」を枕詞に一般行政に比べてそのわかりにくさが、今もって揶揄されがちです。このコラムリレーの位置づけを解かって読んでいただくためにも、教育委員会制度の理解は必要かと思います。 法律や条例に基づく説明は、この教育委員会のホームページに箇条書きで、簡潔に述べられていますが、この制度の働きをもう少しイメージ的に把握していただくために、県議会のホームページの平成18年の11月議会( 12月1日 質問者 安田優子議員 58項「教育委員会のあり方について」)の答弁の一部(62項)を見ていただければと思います。 ゆれにゆれている教育委員会に身をおいて、「決定機関としての委員会と執行機関としての事務局の関係および民意の反映という教育委員会の意義について経験からの率直な感想と意見」を県民に披瀝されたい、とのお尋ねに対するものです。これから続く、コラムリレーの背景の理解に資するかと思います。

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