鳥取県教育委員会 委員 若木 剛
オシムの言葉
「日本では誰も求められた以上のことを試みようとしない」。サッカー日本代表監督イビチャ・オシム氏の言葉です(著書:「日本人よ」)。そんなことはない、と反発する人もあるでしょうが、この言葉が私の頭に残っているのは、「やはりそうだろうな」と同感したからです。
明治維新後日本人はひたすら西欧化にまい進し、その姿勢は1945年の敗戦後もアメリカを手本にして引き継がれました。本物はいつもニューヨークやパリにあって、求める目標は明らかでした。憧れのお師匠さんと肩を並べるようになった今日でも、オシム氏の目に映るように、140年にわたって身についた日本人の習性はなかなか抜けないようです。
日本の学び
「学ぶ」という言葉が「まね(真似)ぶ」から来ているように、日本の学校では長い間、生徒には先生の示すお手本どおりに出来ることが求められました。習字や武道、礼儀作法に型があるように、読本の読み方から意味の解釈まで正しい模範が示され、自然の法則ばかりか世の中の出来事にいたるまで、国定教科書に書かれているとおりに承知するのが良いとされたのです。例えばアメリカについて、大地震の後すばやく復興した元気な国民と称えても(大正時代)、日本の地位を認めないけしからん国と述べてあっても(昭和初期)、その時々に書いてあることに異を唱える余地はなく、先生は偉い人で、教科書には正しい事が書いてあるのでした。
高校で教師をしていた私は、生徒が積極的に発言してくれない授業に悩まされたものです。「これをどう思うか」と問うと「分かりません」と答える。次から次に機械的に「分からない」と言う。ところが、私がチョークを手に黒板に向かうや、彼らは教師の権威によって証明された真理の言葉を一言たりとも書き逃さじと、一斉に筆写を始めるのです。
「これをどう思うか」という問は「これは何か」という問と違って、1つの正解を求めているものではありません。「どうとも思わない」というものまで含めて、誰でも何か意見を述べることが出来ます。「分からない」という返答は成り立たないはず。ところが、生徒たちはこれを正解を求める問と勘違いし、その上そのように考える癖がついているのです。もったいぶらないで早く正解を教えてくれ、それを覚えて次には間違いなく答えるから。かくして日本中の子どもが、誰もが認める正しい答えを知るようになり、その高いレベルが維持されるという次第。求められたことは立派にできるが、それ以上のことを試みない日本人の誕生です。
「面白い子ども」を育てる
以前に校長をしていた高等学校の入学者選抜で、推薦入試というものをやっていました。一般入試では測れない、教科の学力以外の能力を多角的に評価しようという趣旨の制度です。そして、私が中学校へ説明に出向いて、「面白い子をよろしく」とお願いすると、相手の校長先生はたいてい怪訝な顔をなさいました。私ももっと的確に表現したかったのですが、今もってうまく言えません。当時、よく言われていたスポーツ推薦とか一芸入試などを考えた中学校が多かったように思います。「では、個性的な生徒ということですか」と質問されて、私は「う-ん、そこまで固まっていなくていいんです」。「?」。
「面白い子」とは、本当にいわく言いがたい表現です。何か特別の個性を取り出して評価しようというものではない。もちろん風変わりな子やお笑い芸人の予備軍を求めているのでもありません(そんな子が混じっていても構いませんが)。言うこと、為すことにその子の型にはまらない意思が表れていて、思わずにんまりしてしまうような子ども。決まりきった説明を前に、「ええ、それはそうなんですけど・・・」などと語り始める子ども。私は、かつて学校で出会った面白い子どもたちのことを思い出して、今でも楽しい気持ちになります。高3で就職クラスにいた彼女は数学が得意で、何とか数Ⅲを勉強したいという。これは理数系の大学へ進学する生徒が履修する科目で、就職組の生徒は時間割の上で出席が難しい。でも、そう聞くと学級担任の私も知恵を絞りたくなって、うまい方法を考えたものでした。吹奏楽部でラッパを吹いていた彼は、こともあろうに美術の教員になりたいと言い出して驚かせましたが、見事目的を達しました。大部分の生徒が大学進学を志す普通科高校で消防士を目指したり、サラリーマンの父親を説得して宮大工の道へ進んだ者もいます。彼らはみな在学中から、ちょっと「面白い」生徒でした。小学校、中学校でも、先生たちはそれぞれに「面白い子ども」に出会っているはずです。
教育改革と全国学力・学習状況調査
教育改革が進行中です。その扱う分野は多岐にわたっていますが、全体に関わるいくつかのキーワードの中に「基礎基本」、「考え判断する力」、「ゆとりある教育」といったものがあります。そこで、これらの言葉の出所を遡ってみると、なんと40年も前の教育課程審議会答申にたどり着くから驚きです。いま定年退職前の先生が、まだ教職に就く前からのテーマなんですね。これらの言葉が今も生きて働いているのはなぜで、その問題意識はどこにあるのでしょう。11年前の中央教育審議会答申「21世紀を展望した我が国教育の在り方について」の中でも、これらの言葉は、これからの日本の教育全体の在り方を規定する主要なキーワードとして登場します。私はこの答申の特色の1つが、これからは「先行き不透明な厳しい時代」との明確な時代認識の上に立って、今後の教育の在り方を論じた点にあると考えています。そうであればこそ、上の3つのキーワードが導き出されるのだと思うのです。「先行き不透明な」とは「モデルがない」、「先生がいない」「正解が予め分かっていない」というのと同じです。これまでの、お手本に忠実な日本式教育の手法は役に立ちません。しっかりした基礎基本の上に、既存の知識だけを詰め込むのではなく、自分で問題を自覚し、自分で学び、考え、工夫して解決する能力を育てなければなりません。それは自己実現の喜びをもたらすばかりか、世の中に新たなモデルを創造する力にもなるのです。
先ごろ発表された「全国学力・学習実態調査」の結果によると、日本の小・中学生の学力は、基礎知識において高いレベルを保っている反面、論理的思考力や応用力、表現力などの点でかなり不十分であることが分かったそうです。お手本をなぞることは得意でも、自分で問題を見つけ、興味をもって自分の頭で考え、それを他人に説明することは不得手なのでしょう。これでどうして「先行き不透明な厳しい時代」を生きていけましょうか。私たちは40年もかけて、いったいどんな教育をしてきたのか、と情けなくなります。
鳥取県の教育
ところで、この6月末に鳥取県教育委員という重い職に就いて以来、いつも「鳥取県の教育」というテーマが、私の頭から離れません。
ただ、鳥取県の教育と言ってみても、課題とするところは、大なり小なり日本中に共通しているように見受けられます。つまり、鳥取県教育を考えることは日本の教育を考えることとほとんど変わらないのです。そのうえ、国の教育の基本が変わり(教育基本法改正)、次々に作られる法律に地方が縛られるとなると、鳥取県独自の教育を考える余地も必要も余りないのでは、とさえ思ってしまいます。
それでも、調べてみれば何か鳥取県に独特の教育状況があるかもしれない。県教育委員会は県下の子どもたちについて、その生活実態や意識、学力、健康や体力など、さまざまな角度から数年間にわたって調査し、全国状況との比較も行って、現在の鳥取県の特色や問題点の把握に努めています。このホームページに載っている「とっとりの教育」や「基礎学力調査結果のまとめ」などをご覧ください。そして、これまでこれらを基に焦点の合った教育施策を講じ、かなりの成果が上がったものもあります。現在は小・中・高校を一貫した鳥取県の学力向上策の策定を急いいます。ここには確かに「鳥取県の教育」があると言ってよいでしょう。それは、言わば課題対応型の教育です。
一方、現実にどんな課題があるとか、無いとかは別にして、鳥取県の子どもはこう在って欲しいと願うところに成り立つ「鳥取県の教育」もあると思います。理念実現型の教育とでも言いましょうか。実は、これも既にちゃんと存在するのです。「21世紀鳥取県教育ビジョン」を見ると、鳥取県教育の基本理念は「やさしさとたくましさを併せ持つ子どもたちを育てる」とあって、その「めざす人間像」が挙げてあります。一度このホームページで検索してみてください。
そこで私が関心を持っていることは、課題対応型であれ理念実現型であれ、鳥取県はその全ての教育施策を通じて、今日日本の教育に求められている使命、つまり、モデルのない社会をたくましく豊かに生きる子どもを育てること、ができるかどうかという問題です。基礎基本の勉強はきちんとしよう、人の話にも耳を傾けよう、ちゃんとルールを守ろう、・・・。そして大切なことは、そうした全ての活動の中で、自分の考えを持ち、工夫をし、考えたところを表現することに喜びを感じる子どもを育てることです。どの子も「面白い子ども」に育てて、その面目を発揮させたい。
いつか書いてみたい、オシム氏への手紙
このごろ日本各地で耳にする話。えっ、彼って鳥取なの? 彼女も、そう? 何だ、日本中鳥取に乗っ取られたみたい。日本だけじゃないよ。ノーベル賞を受賞したKさん、イスラム世界で最も尊敬される異教徒に選ばれたYさん、オリンピックメダリストのSさん、そして、今世界で注目のファッションデザイナーYさんも、みんな鳥取人。ひゃー。でも、確かに鳥取の人って特色あるよね。何ていうか、みんな自分のものを持ってる感じ。人が考えつかないことやるみたい。いつも、そこから先で勝負するってとこもある。何だろうね。あそこの県は教育がいいんだって。やっぱりね。
オシムさん、あなたが日本では育たないと思っていた人間が、とうとう鳥取から続々輩出するようになりましたよ。少し時間はかかりましたけれど。彼らは「求められた以上のこと」だけでなく、「求められていないことを自分で求めて」生きています。楽しそうにね。きっと、先の見えない不安の中にいる世界中の人々に、新しい文明の行く手を照らす灯りを点してくれることでしょう。どうです、あなたのチームのT君も、なかなか面白い選手でしょ。それでは、次著「日本人よ、その後」を待っています。
2007/11/6