鳥取県教育委員会 委員 岩田慎介
娘が小学生の頃に参観日に出向いた時のことですが、私が小学生の頃とは明らかに違う授業風景に何か違和感を覚えました。それは、問題に対する解答を述べた生徒が「みんなはどうですか?」と教室内に問い掛け、他の生徒が「一緒です。」と同意する、といったことです。中には、「別の言い方が出来ます。」と手を挙げる子もいましたが、「一緒です。」の合唱の後では気後れするのか、ごくごく少数でした。算数の計算問題なら答えがひとつでも頷けますが、国語や社会といった教科で、特に感想を求められた場合の答えの少なさが気に掛かりました。
昔話になりますが、私が小学生の頃は正答から誤答、はたまた珍回答まで多種多様な答えがあったような気がします。
周囲の生徒の「一緒です。」の声が、自分の答えに自信が持てない生徒への後押しになればよいのですが、その反面、切磋琢磨の中で発揮されるべき個性がしぼんでいくのではないかと少々不安を感じました。
少し前の事ですが、作家柳田邦男氏が東京都江東区教育委員会の研究校として、考える力や相手を理解する豊かな心を育てる授業の実践研究を進めてきた区立平久小学校の公開授業の中で、特に6年生の学級討論会に思わず引き込まれたと新聞に書いてありました。
内容は、先生が命題を黒板に書く。『水族館の生き物は幸せである』。賛同する児童と反対の児童が左右に分かれて座り、中立の児童が両者を見渡すように教室の後方に座る。
賛同側が「えさに困らない」「病気にも安心」「敵がいない」「自分の家があり安心」などと理由を挙げると、先生が黒板に列記する。次に反対側が「自由がない」「見せものになるのはかわいそう」「本能を失うのでは」「いつも同じところでストレスになる」などと主張する。
進行は児童代表が務め、十分間ほど双方に反論を考えさせると、反論を述べさせ、最後に中立の児童一人一人がどちらの意見に共感したかを発言させる。先生はどちらかに軍配を上げることはしないで、一人一人が自分で考え、意見を出し、相手の主張にも耳を傾けることの大切さを強調して、授業を終りにした。その時の児童たちの生き生きとした発言に感動したという。
そして、日本人の真の知的水準を上げるには、このように小学校の段階から創意と情熱に満ちた授業で考える力を育むべきとまとめています。 日本人は欧米人に比べて自己主張が苦手と言われています。だったら自己主張できるよう子供の頃から議論をし、その議論の中で主張することや譲歩することのバランスを学ぶことができれば確かに良いのかもしれません。
『自立した心豊かな人づくり』この鳥取県の教育基本理念を念頭に、1人でも多くのたくましい子供たちがこの鳥取県で育まれる事を期待し、この場を
借りて議論することの大切さを改めて認識して頂ければと思います