教育委員長職務代行者 松本 美惠子
寝屋川市で中学生二人が殺された事件、半年ほど前に川崎市で起きた少年集団暴行事件など未成年が被害者となった事件が私たちに衝撃を与えたことは記憶に新しい。
こういった事件を聞いたとき、「親は何をしていた。」と思わず考えてしまう人も多いと思う。
しかし、その考え方や感想は、その事件の関係者の状況を知らないまま、あるいは報道などから出された一部情報から受け取ったに過ぎない材料をもとに、一般常識的観点からの発想であると思わざるを得ない。
今、子どもの貧困問題が盛んに指摘されている。
子どもの貧困は、すなわち親や世帯の経済的状況の問題でもある。
親が病気であったり、障がいがあったり、母子家庭であったりして十分な収入が得られていないなど、努力しても自力では解決できず、その不利益が子どもに及んでしまう状況が起きている。
親の貧困が子どもに受け継がれ、またその子どもに受け継がれという、貧困の連鎖が起きている。
子どもは生まれてくる家庭や親を選ぶことが出来ない。
親の事情や家庭の経済的状況によって、子どもが、低学力に陥ったり、学校に行きたくても行けないなど教育で差をつけられてしまうことは、子どもの責任に帰すべきことではない。
以前は、親の責任、親が解決すべきことで片付けられていた。
しかし、今の時代、容易に抜け出せない貧困の連鎖の中にあって、不利益を受けている子どもを、親の責任の問題だと片付けるわけにはいかない。
貧困は、経済的な不利益のみでなく、子どものやる気や自信を失わせ、将来の希望も奪っていく。
貧困の中であえぐ子どもを救うことは、社会の責任において解決しなければならない。
今、子どもは、親に代わって社会で育てるという考え方へ、基本的に私たちの意識を改めることが必要である。
経済的苦境の中にある親世帯の状況から子どもに生じている貧困問題について、親への非難ではなく、理解を示し、あるいは寛容に受け入れる気持ちを一人一人の考え方の根底に持つことが大事である。