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「懐旧談を二つ」(若原委員)

若原委員  鳥取県教育委員 若原道昭

 私も学生時代に教職課程を履修し4年次に教育実習に参りました。実習先は大学から指定されて、同じ大学の学生5名が一緒に京都市山科にある府立高校でお世話になりました。私は3年生のクラス担当と社会科の授業をいくつか受け持ったと思いますが、正直なところ、もう50年前のことで今ではその実習中のことは殆ど覚えていません。

ところが最近、改めて懐かしく思い出させられる出来事がありました。その時の3年生のクラスの生徒の一人だったという初老の男性がひょっこりと私の湯梨浜町の自宅に立ち寄ってくれたのです。彼の名前を聞いても誰なのか全く思い出せませんでしたが、話してみると実習中の生徒に間違いありません。  

彼の話では、彼は大学卒業後に小学校の先生になり、最後は何と私が京都で勤務していた大学のすぐ隣の小学校で定年を迎えたということでした。考えてみれば彼と私とは4才ほどしか違わないのです。現在では車で各地の山歩きに出かけるのが趣味で、今回も大山に行った帰りに立ち寄ってみたとのこと。私は、教育実習の最終日にクラスの生徒たちが色紙に寄せ書きをして私にプレゼントしてくれたものをアルバムの間にはさんで保存していたことを思い出して、その場ですぐに取り出してきました。彼自身も覚えていなかったのですが、その色紙の真ん中には「2,3年のうちに鳥取の家に行きます」という彼のメッセージが書かれていました。

 

私は1986年の秋から1年余、当時の西ドイツのダルムシュタット工科大学の教育学研究所に客員研究員として滞在したことがあります。その後も、ドイツに行く機会はあったのですがなかなかダルムシュタットには行けないままに過ぎてしまい、元気なうちに何とかもう一度その研究所に行ってみたい、行っておきたいという懐旧の情を抑えきれなくて、とうとうこの7月に決行致しました。

30年振りのことですので、行ってみると大学の名前自体もHOCHSCHULEからUNIVERSITATに変わっていますし、いくつかの建物や通りは現代風に改築・改修されており、確かここにあったはずだと思う研究所もいくら探しても元の場所に見当たりません。守衛所で尋ねると研究所は別の建物に移転していて、訪れると当然ながら研究所の外も内も以前とはすっかり別物で勝手が違いますし、そこにいる人たちも見知らぬ人ばかりです。それでも話しているうちにいろいろな人の消息がわかってきました。私が一番お世話になった先生で、今回もできればお会いしたいと思っていたH.-J.Gamm先生もご存命であれば93才になられているはずでしたが、残念ながらすでに故人となられていました。

ドイツの伝統的な大学もご多分に漏れずグローバル化と大学間競争の波に洗われて変貌ぶりが甚だしいことを痛感しながら、さらに郊外の大きな街路樹のある通りに面して建つ、私が暮らした大学のゲストハウスを訪ねてみると、そこだけは建物もその裏手の広い麦畑も周囲の森も往時の懐かしい姿のままで、私はしばしその場を離れることができませんでした。

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