鳥取県教育委員会 委員 岩田 慎介
1.はじめに
私は、昨年10月に鳥取県教育委員会の委員に任命され、約半年間なんとか務めてまいりましたが、この度リレーコラム執筆のお話をいただきました。
門外漢の私ですので大したことは書けませんが、日々感じていること、社業や子育てを通じて得た教訓をいくつか披露させていただきたいと思います。
2.経営者・教育機関・保護者の使命
以前、親しい友人が、私の口癖を指摘してくれたことがあります。どうも「バランスが悪い」や「配慮に欠ける」という表現を多用するようです。言われてみれば、なるほど良く使うフレーズです。
なぜそのような表現をするのかを考えてみましたが、物事の結果であれ人物の評価であれ、「良い」か「悪い」かの二者択一では単純に括れないと思っているからだと思います。
日々の生活や出来事は連続する不連続であると言えますし、人物においても内面・外面双方が刻々と変化していきます。切り取られたある一瞬での評価が「良」くても全体の流れの中では「悪い」という例は少なくありませんし、今が「悪」いものだとしても、いつ「良」くなるのかわかりません。逆もまた然りです。
自然という不可抗力に影響を受け易い仕事に従事している関係で、知らず知らずのうちにこういう考えが身に付いたのかもしれませんが、会社経営にしても学校教育にしても子育てにしても共通する部分が多分にあると思います。
やじろべえのように不安定で、オセロのように白にでも黒にでも瞬時に引っくり返る可能性を持つ相手に対して、(闇雲に叱り飛ばすのではなく)今日の失敗に気付かせてやり、(安易に褒めちぎるのではなく)明日の飛躍を期待しながら見守っていく、そして、彼ら・彼女らのこれからの人生における羅針盤になっていくことが経営者・教育機関・保護者の使命だと思っています。そういう観点からも、そのポジションにいる者たちは、清濁併せ呑む度量と目先の事象に一喜一憂しない軸のブレない姿勢を養う必要があると思っています。
3.個性と協調性、競争と認知
春は別れと出会いのシーズンです。多くの生徒が学び舎を巣立ち、また、多くの生徒が学び舎の門もくぐるわけですが、この季節、頻繁に耳にするフレーズに対して常々思っていることを述べたいと思います。
そのフレーズとは、詩人金子みすずの「わたしと小鳥と鈴と」という有名な詩の一節「みんな違ってみんないい」と、スマップが歌う「世界に一つだけの花」の歌詞にある「NO.1にならなくてもいい もともと特別なOnlyone」の2つです。
「他人と自分を無理に比べたり他人と競ったりしなくても、あなたはあなた、自分を活かせる分野や自分の個性を大事に育んでいきましょう。」という意味合いで使われることが多いと思います。
でも、果たして本当にそうなのでしょうか?使い手が自分の主張に都合の良いようにコラージュし、作者の本意とかけ離れた拡大解釈をしているだけなのではないでしょうか?
季節の風物詩的なフレーズにいちいち目くじらを立てる必要も無いのかもしれませんが、必要以上に個を尊重し、手放しで個性を礼賛する姿勢は私には極めて不自然に映ります。私は、個性とは協調性を土壌にして咲く花でなければならないと思っていますし、他者との微妙な距離感の中で、そのバランスが保てる最大限の言動こそが個性だと思っています。
学び舎とは学業を習得する場でありますが、同時に、他者との係わりの中で個性と協調性のバランス感覚を磨く場でもあります。他者に負けたくないという気持ちや負けないために努力する心は、成長期にはとても自然で、重要なことだと思います。学業やスポーツは言うに及ばず、生活態度や作法においても他者との切磋琢磨なくして自己の成長は望めるものではありません。
0か100かの議論の中で競争そのものを不安視する流れがありますが、要は「競い合いながらも相手を認めること」の大切さを理解させることが重要だと思うのです。それこそ、「NO.1にな
らなくてもいい」のではなく、「NO.1にな
れなくてもいい」(=目的と結果の不一致)ということを。
4.サジを投げられない人
ある教育者の話として、いつまでも心に残る一言があります。その言葉を披露しようと思います。
彼女は長らく特別支援教育に携わってこられ、様々な障害や難病の生徒さんやその保護者と触れ合ってこられました。当初、保護者のほとんどは子どもが負う障害や病気を受け入れることができずに泣き暮れるばかりなのですが、老先生は決まってこの台詞を口にするのだそうです。
「子どもの病気や障害について、たとえ医者に有効な治療法がないと言われたとしても、保護者と教育現場は最後までサジを投げてはいけないんですよ。」
医療現場からお叱りの声が挙がるかもしれませんが、行間を吟味いただければ彼女が言いたいことは充分理解していただけると思います。
障害者白書によれば、国民のおよそ5%は何らかの障害を有しているそうです。数字上は圧倒的マイノリティである自分と違う他者を、保護者と教育現場の関係だけではなく、地域コミュニティとして認め合って支え合う必要があると思います。こういう時代だからこそ。
5.最後に
頭に浮かんだことを、さしてまとめるでもなく文章に落としたために、たいへん読み辛いものになってしまったことをお詫び申し上げます。