教育委員長 中島 諒人
採用から三年目の先生を対象にした県教委主催の研修で、演劇ワークショップを行った。体を使ったゲームなどを行った後、アイパッドを使って短い映像を作ることに挑戦してもらった。
パラパラ漫画の要領。一枚一枚写真を撮り、それが次々と切り替わることで、連続した動きとなり映像が出来上がる。アプリの使い方は一分もあればみんな理解できる。あっという間に創作が始められるのが、こういうデバイスの素晴らしいところ。一つのグループは十二人程度。ともかく面白い映像をみんなで作るというのが課題。
巨人にみんなが食べられていく作品。たくさんの人が床の上を滑るように動き回ったり、時計や花のような幾何学的な動きを作り出す作品。戦いの場面でCGのように人が吹き飛ばされる作品。弾むようなにぎやかさの中、それぞれに個性的な映像が作られた。
共同作業は、学校ではひんぱんに行われる。団体スポーツはそうだし、掃除だってみんなでやる。だが今回の仕事は、そういうものとちょっと違う。さて、この集団作業の特徴はなんだろう。
作業の目標が始まりの時点では具体的に存在しないことが、最大の特徴。例えば掃除の目標は明確、割り振られた場所をきれいにすること。スポーツでは、得点を取るとか相手を負かすこと。ところが、この映像作りでは、「何か面白いものを作る」という極めてあいまいな目標があるだけ。そこから、みんなで意見を出し合い具体的な目標を定めなければならない。ここが難関だが、限られた時間の中ベストを求めてもしょうがない。ベターなアイデアを目標と定め、みんなが動き始める。さて、あとはテキパキと進めばいいが、そうもいかない。
遠近差を生かしながら、巨人に人が順番に食べられる映像を作るとしよう。カメラの近くに立つのが巨人、遠くに複数の人がおびえている。巨人が一人を選び、つまみ上げて口に運ぶ。それが順に繰り返される。言葉にすれば、簡単とも思える場面。
しかし、それが具体的にはどんな光景であるかは、参加者全員でそれぞれにイメージが異なっている。その共有がある程度までできなければ、みなで一つの場面を作ることはできない。
それは、一枚の明確な設計図を基に、あるいは誰かの指示に従って駒となって動くというような静的な過程ではない。漠然とした想像を頼りに、少し恐る恐るやってみながら互いのズレを認識し、あるいは他人の提案に刺激され軌道修正しながら、関わる全員が刻一刻とそれぞれの像をすり合わせ、みなで一つのよりよい像を探るという極めて動的な過程だ。
このように語ると、何か特殊な時間のように思う人もあるかもしれない。けれど、この複雑な社会の中で、何か意味のある共同作業が行われた時、それを振り返ると、その過程は大体上のような動的なものであったはずだ。
課題先進国とも呼ばれる現代日本社会。その課題を解決できる人材を育てるのが、教育に課された重要な使命。その力を育てるためには、上のような創造的なトレーニングが不可欠である。未知の問題の解決は、創造的な過程に支えられている。