鳥取県教育委員 若原道昭
数年前の、関西であった或る会合でのことです。鳥取県の経済界を代表されるお一人である方がスピ-チの中で、鳥取県の県民性をあらわしている言葉として「煮えたら食うわ」という言葉を紹介されました。私にとっては初めて聞く言葉でしたが、「誰かが煮てくれたら食べる」つまり「自分から積極的に動こうとしないで、誰かが動いてくれるのを待っている」といった意味合いのようで、その方はこのような消極的受動的な姿勢は改めなければならないという趣旨のことを話されていました。
そう言えば同じころに、或る週刊誌で「上司にしたくない県民」の第一位に鳥取県が挙げられていたことがありました。どんな調査・分析に基づくランク付けであるのかその根拠ははっきりしませんでしたし、気にするほどのことではないのかも知れませんが、どうも鳥取県民に対しては積極性に欠けるとか引っ込み思案であるとか、マイナスイメージをもって見られているように感じられてあまり良い気がしません。他の人を押しのけてまで自己主張をするような厚かましさや攻撃性が希薄な、温厚で謙虚な県民性であるという評価ならまだいいのですが、どうもそうではなさそうで、鳥取県出身の方々が様々な舞台でどんなに活躍して下さってもこの先入観はなかなか払拭されないようです。
このような評価は一体何によって生まれたものなのでしょうか。
過日、所用で富山県に数日間滞在する機会があり、その折に南砺市(なんとし)の福光(ふくみつ)という地域を訪ねてみました。この地は、先の大戦中に棟方志功(むなかたしこう)氏が疎開され戦後も暫くとどまって創作活動を続けられた所で、その間に棟方氏の作風に大きな変化があったとされています。
そして後に柳宗悦(やなぎむねよし)氏が、この作風の変化に強い影響を与えたのは福光という地の風土や土地柄であるとして、これを「土徳(どどく)」と呼ばれました。ですから土徳という言葉は柳氏の造語で、かつ概念は必ずしも明確ではありませんが、「その土地の風土や土地柄がもっている(優れた人物や文化を育てるという)徳性」というような意味ではないかと思います。
風土というのは、その土地の気候・地形・景観などを総称した概念で、その風土の人間や文化への影響を考察したものと言えば日本では和辻哲郎(わつじてつろう)氏の『風土』(1935年)がよく知られています。和辻氏は風土をモンスーン型(南アジア・東アジア)・砂漠型(西アジア)・牧場型(西ヨーロッパ)の三類型に区分してそれぞれの地域の人間と文化の特性を理解しようとされました。
そのような自然風土だけではなく歴史的・文化的背景や精神風土さらには信仰風土といったものの総体がその土地の人間や文化の性格をかたちづくる上で大きな要因となっているとしても、それだけで終わっては環境決定論に他なりません。鳥取県の土地柄がもつ土徳によって育まれた人間性をプラスの方向へ発揮せしめていくにはやはり教育が重要な役割をはたすと思うのです。