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「田んぼと馬」(中島委員)

中島委員長 教育委員 中島 諒人

田んぼはいつ見てもきれいだ。この時期、田植え前後は特に美しい。苗を待って水が張られた田。柔らかい四角の中に均等な深さで水をたたえる。現在のようなさまざまな測量機器や機械のない時代から、田はどんな傾斜地にあっても水平に作られ、美しいあぜがそれを縁取った。田作りは、農業というより土木の技術だろう。普通の農民がよくそんなことをやったものだ。

みずみずしい緑の苗のささやくような揺らぎ、葉のあっという間に伸びていくスピード、それを支える泥と水の確かさ。見慣れたことの一つひとつは、実は人の歴史と叡智が生んだ奇跡だ。日や雨や自然の力を最大限に使い稲の力を引き出すさまは、自然と人間技術の最高レベルでの調和だ。私はよく、競走馬サラブレッド(Through Bred=完全に育てられたもの)を連想する。

「血統は大事だが、結局走らせてみないとわからない」とは、元有名騎手の小島調教師の言葉。当たり前のようでもあるが、現役時代数多の馬に騎乗し、名馬の力も知り、今は良い馬を探して全国を回っている人の言葉だけに重く響く。速く走るために造られ、完全に育てられたものでも、そうもいかないことがある、というかそうもいかないことの方が多いのだ。要は、人にも馬にも向き不向きがあって、育てる側の思い通りにはいかないということ。ではどうするか。存在のいろいろなあり方、能力、才能を、「そのまま伸びればいいのだ」と、静かに見守り、時に積極的に守り、伸びたい方向に進めるよう栄養や励ましを与える。だが、言うは易し行うは難し。

成長段階の稲は、徹底的に優しくされる。温かい泥の中で、ともかく根っこを張らせる。根っこを大事にするところがいい。梅雨の田んぼは、夏に葉を茂らせ丈を伸ばすその前に、細い根を土中にびっしり育んでいる。

初等中等教育は、田んぼのぬるい泥のようであったらいいと思う。このぬるさは、怠惰や無関心、あるいは放任、過干渉と同義ではない。入念な下準備、時に応じた援助と愛情、忍耐と信頼により支えられる手厚い見守りが裏にある。では、その準備や見守りの余裕が、今の現場にあるのかと問われれば、教員の多忙等々の問題が、教育委員会に突きつけられる。

事態は単純でなく根が深い。未来を作るための教育は、今の社会の諸条件に規定される。どんな時代でも、それはそうだ。が、現在のような時代の転換点、未来が見えない状況で、目先の圧力に振り回されてばかりでは、本当に望んでいる未来を手に入れることはできない。大事なのはとにかく根っこなのだ。

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