奥日野の大鉄山師 近藤家の7代目当主寿一郎氏は、大正9年に日野郡教育会長に就任、次の世代を担う若者の教育のために、援助を惜しみませんでした。
根雨高校の元となる敷地や建築費を寄付したことは広く知られていますが、大正11年には、根雨小学校に400点を超える理科教材を寄贈しましたが、その背景は簡単なものではなかったようです。
根雨小の校長室に飾られた寿一郎氏の石膏像
元々、理科教材を小学校に贈りたいと考えていた寿一郎氏ですが、大正10年に長男が19歳の若さで夭折しました。
その不幸に、寿一郎氏は「根底から従来の『我』を破壊され」たと綴っています。
そして、「精神的苦痛より若干かを免れたいと思ひまして」 、「早く理科器械や標本を寄贈して理科室に陳列したならば」、「亡き児の悌が彷彿するであろうと思ひまして」、理科教材を約1年間かけて蒐集し、根雨小に寄附することになったのです。
寿一郎氏の自筆「寄贈の因縁」(近藤家所蔵)
今日は、9代目当主の登志夫氏と一緒に根雨小学校に伺い、寿一郎氏が寄贈された理科教材を探してみたいと思います。
登志夫氏も一度も見たことのないこれらの教材は、寄贈されてから今年で99年。
果たして見つかるのでしょうか。
ありました!
登志夫氏「祖父寿一郎の思いとともに、永遠に生き続けているかのよう。」
1世紀前に製作されたとは思えないほど、生態を明確に捉えています。
今では、ワシントン条約で輸入が禁止されていますので、希少さが増しています。
台には「猩々」とその学術名、「島津製作所標本部」の文字。
教育分野に高い熱意をもった創業者が創設した島津製作所は、明治8年から理科器械の製造を始めました。
標本部は明治24年に作られ、理科教材の分野では、我が国トップの品質を誇っていました。
現在は、ノーベル賞受賞者を輩出したことでも知られ、科学の分野で突出した業績を上げている企業です。
当時の校長が作成したリストには、「シャウジャウ」は当時の金額で170円0銭、大正11年3月15日に購入されたものであることが記されています。
大正時代に、田舎の小さな小学校でこのような剥製があるのは、珍しいことだったのでしょう。
ライオン(大正11年3月15日 寄附)
しなやかで強靭な筋肉、力強い足、バランスをとるための尾。
1世紀もの時を超えて、咆哮し、今にも動き出すかのよう。
百獣の王の鋭い牙。
大正時代に、ここ根雨でライオンを至近から見ることができたのです。
子どもたちは、興味、憧れ、恐怖、どのような反応をしたのでしょう。
「クマタカ仕立(兎ヲカム)」(大正11年11月5日 25円)
今まさに獲物を捕らえ飛び立とうというクマタカの迫力に圧倒されます。
捕食される兎から、風前の灯となった生命の悲壮感が伝わってくるようです。
「カソウワシ」(大正11年3月15日 50円)
鋭い眼光、尖った嘴、鋭い爪、羽ばたくための筋肉や羽。
獲物が来たら、飛び立ちそうです。
「マナヅル」(大正11年3月15日 36円)
気品ある立ち姿、長い首の曲線、目の周囲のほんのりとした赤。
1世紀も前から、このスリムは足で立ち続けています。
「アシカ」(大正11年3月15日 80円)
力強い手足と愛嬌のある顔、脂肪を蓄えた胴。
「イヌ骨格」(大正11年3月15日 18円)
さらにリサーチを続けると、棚の奥深くに所蔵されていた標本の数々が、数十年振りに現れました。
「イカ解剖朱中」「イセエビ解剖朱中」「紅珊瑚虫付」「カメレオン」「天然真珠」「ヒキカエル発生順序」など。
99年経過しホルマリンは減少しているものの、ほぼ原形が確認できます。
大正時代から子どもたちは、根雨の自然界では見ることのできない生物を、実体として見る機会に恵まれていたことになります。
「ヒトデ」「人体及犬ノ小腸」「トノサマカヘル解剖朱中」「平家ガニ」「ムラサキウニ」など。
カエルは解剖してありますので、臓器の位置や機能を勉強できます。
「6種レンズ」
光の屈折の勉強に使われたのでしょうか。
「介殻標本50種」
現代に至っても、ここにある全ての種類が自然界に残っているのか、疑問が沸きます。
「材幹標本甲乙50種」
木によって、木目や色が異なっていることがわかります。
登志夫氏「動物の息遣いが聞こえるかのような、クオリティーの高い標本や、まさに捕食する瞬間のカメレオンのホルマリン漬けなどが約1世紀も前から根雨小にあることは驚きです。ここで祖父の思いが生き続けていることが感じられます。」
日野振興局 2021/03/04