令和3年7月10日(土)に「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」を開催しました。新型コロナウイルスと大雨のダブルパンチで、一時は開催が危ぶまれましたが、何とか無事に開催することができました。申し込み予約は、開催の20日前には既に定員に達し、多くのキャンセル待ちの方がいらっしゃったほどですが、当日も大雨の影響が残り、参加者は85名でした。
実際の講演では、一部リモートによる音声の不具合もありましたが、各講師の方々の、分かりやすく丁寧な解説のおかげで、参加者の方々からは、「非常におもしろかった」「これまでの古代官僚のイメージが180度変わった」「現代との関わりで考えていきたい」など大好評の声をいただきました。
男女のあり方は常に歴史の中で変化していること、またそうした事を語ることができる素晴らしい資料が鳥取県にはあることを、参加者の皆様に知ってもらえれば、フォーラムの目的を達成することができたと思います。
今後、記録としてフォーラムの内容をまとめることを検討していきます。その際には当センターHPなどでお知らせしますので、お楽しみに!
講演の様子
討議の様子
遺物・パネル展示の様子
令和3年6月4日から当センターで開催している企画展「いにしえの器 Part1」で展示している遺物を紹介します。
今回紹介する展示品は、脚付盤(きゃくつきばん)です。楕円形の器に4本の脚があるものです。鳥取市鹿野町の乙亥正屋敷廻(おつがせやしきまわり)遺跡で出土したものです。今回の企画展では、器の裏側を見ていただくために、裏返して展示しています。良くご覧いただくと2か所に円形の非常に短い脚があります。工具を使って根本付近で分割されたためにこのような長さになったものと考えられます。また、底の中央部分には直径数ミリメートルの孔も開けられていて、本来の器の姿や機能が失われていることがわかります。貴重な品を廃棄する際の作法があったのかもしれません。
(表側)
(裏側)
[令和3年7月掲載]
令和3年7月10日(土)に、とりぎん文化会館で開催した考古学フォーラム「古代の女性史」に関連する展示を当センターで行っています。男女の姿を表した人形(ひとがた)は、平安時代の地方における祓(はらえ)儀式の場に男性官人だけでなく、女性官人もいた可能性を示しています。また、「刀自女」(とじめ)という女性有力者の尊称が書かれた木簡(もっかん)や、発起人の1人として女性の名前が書かれている、経典を書写して繁栄を祈った事を記録した勧請板(かんじょういた)は、9世紀~10世紀頃の鳥取に、独立した女性の有力者が存在したことを示してします。当センターにお立ち寄りの際は是非ご覧下さい。
展示状況1
展示状況2
令和3年6月4日から当センターで開催している企画展「いにしえの器 Part1」で展示している遺物を紹介します。
今回は、鳥取県東部に分布が集中する器の花弁高杯(かべんたかつき)を取り上げます。鳥取市青谷町にある青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡が発祥の地と考えられている器で、外面に花びらのような文様が施されており、弥生時代後期(2世紀)に石川県から福岡県にかけての日本海沿岸地域に広く分布することが知られています。今回は、令和2年度に保存処理が終了した松原田中(まつばらたなか)遺跡(鳥取市)出土の花弁高杯を展示しています。これまで、水漬けで保存しており、展示・公開することが難しかった資料でしたが、保存処理を行い、2つに割れていた資料も接合し、展示しています。保存処理後初めての公開ですので、ぜひご覧ください。
また、乙亥正屋敷廻(おつがせやしきまわり)遺跡(鳥取市)出土の花弁高杯も併せて展示しています。花弁高杯は、ほとんどの遺跡で1点ずつしか出土しないことが知られていましたが、乙亥正屋敷廻遺跡からは、6点の花弁高杯が出土しており、青谷上寺地遺跡に次ぐ多さです。同じように見える花弁高杯ですが、乙亥正屋敷廻遺跡出土の花弁高杯はどれもやや小さいことが特徴です。一緒に展示している松原田中遺跡のものや、ロビーに展示している青谷上寺地遺跡出土品の復元品とも見比べていただければと思います。
松原田中遺跡出土花弁高杯(底面)
乙亥正屋敷廻遺跡出土花弁高杯(底面)
花弁高杯の出土状況(乙亥正屋敷廻遺跡)
令和3年6月4日から7月9日まで、当センターで企画展「いにしえの器 Part1」を開催します。弥生時代から古墳時代に使われた器の中で、特に「まつり」をテーマにして、当センター所蔵の資料を紹介します。昨年度、保存処理が終了して初めて展示する木製容器もありますのでぜひご観覧ください。
また、令和3年6月19日(土)午後1時30分から、当センターにて、この企画展にちなんだ「鳥取まいぶん講座」を開催します。この講座で、企画展で取り上げた資料について説明しますので、ぜひお申込み下さい。
昨年新聞やSNSで話題となった国立歴史民俗博物館が開催した企画展「性差の日本史」には、鳥取県から数多くの資料が展示され、鳥取県は古代の女性の活躍を今に伝えるものが数多く存在する地域であることが分かりました。
令和3年7月10日(土)にとりぎん文化会館で開催する考古学フォーラムでは、古代の女性史をテーマとし、当県出土資料を中心に、弥生時代の女王卑弥呼(ひみこ)から、飛鳥時代における因幡出身のキャリアウーマン伊福吉部徳足比売臣(いおきべとこたりひめ)まで、古代女性史の最新の研究成果をご紹介しますので、是非ご参加ください。
詳細はチラシをご参照ください→(pdf:2535KB)
日時:令和3年7月10日(土)午後1時20分から午後5時まで
場所:とりぎん文化会館第1会議室
要申し込み(定員100名)。参加無料。
※各講師とはリモートでつないで、スクリーンに映し出します。
お申し込みは、当センターまでメールまたはFAXでお申込み下さい。
「イベント・講座申し込みフォーム」はここをクリックしてください。
[令和3年6月掲載]
令和3年4月9日から当センターで開催している企画展「いにしえの田園風景(春)」は、いよいよ5月28日が最終日となりますが、その見どころを詳しく説明します。
第3回目は、田下駄(たげた)です。水田に入る際に沈まないように足につけるもので、弥生時代では板の表面に穴、または側面に抉り(えぐり)を入れ、縄を使って足と結び付ける単純なものです(写真・図)。鳥取県東部では、当初は両方使われていましたが、弥生時代後期(約1900年前)になると、穴をあける労力が大変だったのか、側面に抉りをいれるものが大半を占めます。また、古墳時代になると、部材を組み合わせてつくる高足(たかあし)型と呼ばれる田下駄も登場します(写真・図)。この高足型田下駄が、組み合った状態で出土することは稀で、部品がバラバラの状態で出土することがほとんどです。私も10数年前、本高弓ノ木(もとたかゆみのき)遺跡(鳥取市)を調査した時、この高足型田下駄の部材(写真)を見つけましたが、それが田下駄の部品とは気付かず、不明木製品としていました。それから5年後の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡(鳥取市)の調査で、一気に謎が解けた事を思い出します。
部材を組み合わせた構造の田下駄は、実は戦前まで使われたもので、民俗資料として残っているものもあります。基本的な形が1000年以上変わっていないことを考えると、この70年ほどが、いかに急速に機械化していった時代であるかわかります。
桂見遺跡出土田下駄
田下駄のはき方については、こちらをクリックして下さい→(pdf:2380KB)
高足型田下駄(青谷横木遺跡)
高足型田下駄イラストについては、こちらをクリックして下さい→(pdf:2333KB)
高足型田下駄の一部(本高弓ノ木遺跡)
令和3年4月9日から当センターで開催している企画展「いにしえの田園風景(春)」について、その見どころを詳しく説明します。
第2回目は、泥除(どろよ)けです。泥除けは、鍬(くわ)の身や柄にとり付けて、鍬を振り下ろした時にはねる泥が使用者にかからないようにするものです。当初は鍬の身にはめ込むだけのものが主流でしたが、弥生時代後期(約1900年前)になると、全国各地で様々な形や装着方法が現れます(図)。
今回展示している良田中道(よしだなかみち)遺跡(鳥取市)の古墳時代前期(約1700年前)の泥除けは、鍬の身と組み合わされた状態で出土した県内2例目の貴重な事例です(写真)。泥除けの上部を鍬の身にはめこみ、孔をあけて鍬の身と緊縛するタイプで、北陸地方でよくみられるものと似ています(図左下)。国史跡青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡の出土品をはじめ、山陰地方の木製農具や容器は、北陸地方との繋がりが見受けられ、今回の事例もその事を裏付けるものと言えます。
ちなみにこの泥除けは、1937年の奈良県唐古・鍵(からこ・かぎ)遺跡の発掘で出土して以来、謎の木器とされていましたが、約50年後に鍬の身と柄と泥除けが全て組み合った状態で出土したことで、ようやくその機能が分かったという逸話があります。良田中道遺跡のように装着したままの発見例は、実際の使用状況を示すもので、また新たな発見に繋がる可能性をもつ重要な資料と言えます。
図 泥除けと装着例
鍬身(左)と泥除け(右)
泥除け装着状況(良田中道遺跡出土)
令和3年4月9日から当センターで開催している企画展「いにしえの田園風景(春)」について、当センターのホームページやフェイスブックでその見どころを詳しく説明します。
記念すべき第1回目は、展示の主役ともいうべき農具のつくり方について説明します。
写真の木の板は、松原田中遺跡(鳥取市)の弥生時代前期末(約2,300年前)の小さな溝から出土しました。板の表面には3つのコブのような隆起がありますが、これは製作途中の木製鍬先の身が3つ繋がっているものです。これは「連作未成品」と呼ばれるもので、コブの部分は鍬の柄穴があけられる隆起部分にあたります。この「連作未成品」は、実は県内唯一の出土資料であり、今回が初公開となります。
稲作が始まってから、木製農具がつくられるようになりますが、材料はカシ(アカガシ亜属)やコナラが多く用いられています。まず、丸太にクサビを打ち込んで、年輪の中心から放射状に割り裂くと、「ミカン割材」と呼ぶ素材が多くとれ、その素材を使って農具を製作していきます。鍬先は基本的に、1本の「ミカン割材」から2~4つを連続して製作する効率的な作り方をしており、一本の木から多くの鍬先を作ることができる大変効率的な方法で作っています。
木の特性を把握し、また限られた資源をいかに効率的に使うかという弥生時代の人々の工夫が表れています。
松原田中遺跡出土連作未成品
木製鍬先の作り方の図はこちらをクリックして下さい。
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図1「木製鍬先の作り方」 (pdf:1167KB)
令和3年4月9日から5月28日まで、当センターで企画展「いにしえの田園風景(春)」を開催しています。
弥生時代の開始以降、私たち日本人と深いつながりのあるお米づくりの情景を、出土遺物を通して感じていただくものです。今回は、春から夏にかけての田起こしから田植えまでに関する資料を展示しています。9月には「いにしえの田園風景(秋)」も開催しますので、そちらも続けて御覧いただけると幸いです。
また、令和3年4月17日(土)午後1時30分より、当センターにて、この企画展にちなんだ「鳥取まいぶん講座」を開催します。この講座で、企画展の見どころを詳しく説明しますので、是非お申込み下さい。