現代の日本でカゴといえば、金属製やプラスチック製を除けば竹製が当たり前のような感じですが、マダケが使われ始めたのは中世以降、モウソウチクは近世以降とされており、縄文時代早期から続く、8000年のカゴ作りの歴史から見ればつい最近のことです。
さて、縄文時代までさかのぼると、日本海側でよく使用されていたのはヒノキなどの針葉樹でした。縄文時代晩期(約2500年前)の高住井手添遺跡のカゴには、ヒノキを細く割り裂いて径2~3mmのヒゴ状に加工したものが使われています。中にはヒノキのほかにも部分的にテイカカズラのツルが使われているものもあります(写真1)。
このようにヒノキをはじめとする針葉樹とツル植物を多用したかご作りは、縄文時代の北陸から山陰にかけての日本海沿岸地域の特徴とされています。一方、九州・四国地方ではイヌビワ・ムクロジなどの広葉樹とツル植物が、関東地方ではササ類が多用されていました。
家の建材の印象が強いヒノキですが、お風呂でも使われていることからわかるように、水に強く、腐りにくい性質があります。かつては井戸水をくみ上げる釣瓶(つるべ)や鵜飼(うかい)の綱にも利用されていたそうで、木の実のあく抜きなど、水辺で使われるカゴの素材としては理にかなっています。しかし実際にカゴを作るとなれば話は別です。縄文人はどうやってヒノキ材を細いヒゴ状に加工したのだろうかと首をひねりました。
そこで令和2年10月、木材のスペシャリストである林業試験場を訪ね、出土品のカゴをご覧いただきながら加工法を一緒に考えていただきました(写真2)。「機械を使えば見た目は同じような形のヒゴ材を作るのは簡単だが、木の繊維が切れてしまうため、カゴを編めるような素材にはならない。ましてや機械なし、縄文時代の技術で作るとなればどうすればいいのやら」と、専門家たちをも悩ませる超難問でした。
(つづく)
写真1 細い格子目がヒノキ、太い横材がテイカカズラ
写真2 林業試験場での検討会
[令和5年1月掲載]
当センターでは、高住井手添(たかずみいでぞえ)遺跡から出土した縄文時代のカゴの復元製作に取り組んでいます。復元作業を通して得られる知見を先行する青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡出土の弥生時代のカゴの研究成果と比較しながら、鳥取県の豊富な木材資源の利用と高度な木工技術の歴史を明らかにすることを目的としています。
鳥取市・高住井手添遺跡は、湖山池の南岸に立地する縄文時代から弥生時代にかけての集落遺跡です。今から11年前に鳥取西道路の建築工事に伴う発掘調査が行われ、縄文時代晩期(約2500年前)に使われていた13点ものカゴ類が良好な状態で出土しました。この遺跡からは、カゴ作りの材料とみられるヒゴ材が多量に出土していることから、この場所でカゴが作られていたことがうかがえます。
今回の縄文時代のカゴ復元に当たっては、かつて青谷上寺地遺跡のカゴ復元に携わられたバスケタリ―作家の本間一恵さんにご協力いただくことになりました。本間さんには令和元年12月に出土品を見ていただき(写真1)、高住井手添遺跡のカゴ類の中でも、特に残りの良い2点(写真2,3)を候補に選んで復元することになりました。
しかしこのころはまだ、高住井手添遺跡のカゴ復元の難しさを何一つわかっていなかったのでした。(次回につづく)
写真1 本間さんを招いての検討会
写真2 復元候補その1(カゴ4)
写真2 復元候補その2(カゴ7)
[令和4年7月掲載]
鳥取西道路の発掘調査で出土した木製品の内、自前では保存処理が難しいものは専門の業者にお願いしています。令和4年度は大小合わせて、総数48点と過去最多の点数で、当センターの机に並べた様子は壮観でした。内容も農具、工具、漁具、食器、紡織具、容器、祭祀具など様々なジャンルにわたっています。点数が多いと、元々の保管場所を探してセンターに移動させるのにも一苦労です。また、業者さんへは、元々壊れている部分や脆い箇所などを1点ずつ、お互いに確認してから引き渡しますので、時間がかかります。
3時間ほどかけて、ようやく車に積み込むことができました。あとは令和5年3月に予定している納品を待つばかりですが、これだけ点数が多いと、途中のアクシデントなども予想され、気が抜けません。令和5年3月に無事戻ってきたら、幅広いテーマでの展示を企画していますので、楽しみにお待ちください。
業者に保存処理を委託する木製品
木製品のチェックと梱包1
木製品のチェックと梱包2
車に積み込んだ様子
[令和4年6月掲載]
4年目を迎えた「鳥取西道路出土木製品再整理事業」ですが、毎年春は2つの恒例行事があります。1つはこれまでもお知らせしたことのあるPEG(ポリエチレングリコール)で保存処理をした木製品の引き上げ作業。そしてもう1つは、保存処理されずに水漬けになっている未処理の木製品のチェックと水替え作業です。
普段、未処理の木製品は、水の入った水槽やコンテナの中で保管されていますが、時間がたつと水分が蒸発し、木製品が乾燥して変形してしまう恐れがあります。そこで、毎年春に、未処理木製品の入った水槽やコンテナをチェックし、水の補充などを行っています。その数コンテナ約5,000箱分!これを5~6人のスタッフで約1カ月間行いますが、ずっと立ちっぱなしの作業なので中々の重労働です。また、コンテナ内の木製品は、空気を通さない特殊な袋に水と共に空気を抜いた状態で封入されます。そうすることで、単純にコンテナに水を入れるよりも、コンテナ1箱に入る木製品の量が増え、また重量も軽くなります。肝心の保存の方は、ちゃんと封入されていれば5年くらいはもつようです。
これら春の恒例行事が終わると、いよいよ暑い季節がやってきます。今後は木製品の調査研究を本格的に行う予定です。気候と同様、新しい発見などホットな情報をお知らせしていきますので、どうぞお楽しみに。
コンテナ内木製品のチェック作業
木製品の封入作業1
木製品の封入作業2
封入されたコンテナ内の木製品
[令和4年6月掲載]
今回で第3回目をむかえる予定であった当センター職員による調査研究成果発表会ですが、今年度はコロナ感染の減少が見られないことを受け、YouTube上での動画による発表(期間限定)とさせていただきます。
今年度は、全部で4本の発表となりますが、まずは「令和3年度 古代山陰道の発掘調査成果」と「古代因幡における交通と祭祀」の2本をアップしています。1本あたり15分ほどで、視聴いただける期間は5月8日(日)までとしています。いずれの発表も、古代の青谷地域を中心とした、最新の知見を盛り込んでいます。また、内容が関連しあっていますので、2本ともご視聴いただけると、より深くご理解いただけると思います。
残り2本の発表についても、公開時にはお知らせしますので、どうぞお楽しみに。
「令和3年度 古代山陰道の発掘調査成果」はこちら→URL
「古代因幡における交通と祭祀」はこちら→URL
発表1「令和3年度 古代山陰道の発掘調査成果」
発表2「古代因幡における交通と祭祀」
[令和4年3月掲載]
鳥取大学の中原准教授と共同研究で行っている木製品の樹種同定ですが、今年で3年目に突入しました。今年度は青谷横木遺跡から出土した縄文時代から平安時代までの木製品約200点で実施します。木製品から薄い切片を採取して顕微鏡で観察し、樹種を同定していきます。初日は、舟材と思われる大型の木製品や、束になってトグロを巻いた形で出土した木製品などの切片を採取していただきました。
今年度で、共同研究は一旦終了となります。3年間で実施した500点以上の樹種同定の結果をもとにして、鳥取県における縄文時代から近世までの自然環境の変遷とそれに対する樹種の利用状況が明らかになっていくと思います。
当県には、既に青谷上寺地遺跡の木製品のデータベース(http://db.pref.tottori.jp/aoya-iseki_d.nsf)があり、鳥取西道路出土木製品もこうした樹種を含む詳細な木製品のデータを公開できるよう台帳をつくっています。完成すれば、国内トップクラスの木製品のデータになると思います。こちらもどうぞお楽しみに。
切片採取の様子1
切片採取の様子2
台帳類
[令和3年11月掲載]
令和3年4月19日から22日までの間に行われた、当センター春の風物詩であるPEG含浸木器取り上げ作業の様子を前・後編の2回に分けてお伝えしています。前編はPEG溶液の抜き取りから木器の乾燥までをお伝えしました。後編はいよいよ今年度分の仕込み、すなわち木器の浸け込み作業です。
まずは浸け込み前の木器のクリーニングです。長い間水漬け保管していた木器の表面は、ぬめりが出ていたり、藻がついていたりすることがあるので、きれいに水洗いします。このとき、隙間に入った泥やめり込んだ砂粒もしっかり落としておきます。
つぎに手当てです。ひびが入って折れそうな木器には添木をしたり、表面がはがれそうなものには不織布を巻いたりします(写真1)。すでに破損しているものは、部品がタンクの中で散逸しないように、穴をあけたポリチューブにまとめて封入するなどの処置を施します。木器の情報を記載したカードを木器に結わえ付けたら、タンク内に入れていきます(写真2)。
写真1 傷んだ箇所に不織布を巻く
写真2 タンクに木器を入れる
タンクに注水して、一番上の木器が沈むまで水がたまれば、ひとまず浸け込みは完了です。この後はタンクを加熱して60℃まで温度を上げ、薬品を加えて木器の黒ずみの原因となる鉄分を除去します。水替えを2回繰り返して薬品を洗い流したら、いよいよPEGの含浸が始まります。
今回浸け込んだ木器は、高住井手添(たかずみいでぞえ)遺跡、高住平田(たかずみひらた)遺跡、本高弓ノ木(もとだかゆみのき)遺跡、青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡の約850点です。青谷上寺地遺跡の木器は細かなものがほとんどですが、ほかの遺跡はほとんどが杭や建築部材などの大型品であり、とくに本高弓ノ木遺跡出土の長さ3.8m、幅30cmのスギ材はとても重く、浸け込むのも大人6人がかりでした(写真3)。みんな作業に必死で、そのときの様子は記録できませんでしたが、来年の取り上げのときの様子が紹介できればと思っています。どうやってタンクから引き上げようかと、今から気が重いですが、皆さんはそれまでお楽しみに!
写真3 今年の浸け込み木器
[令和3年5月掲載]
今年もまたあの季節がやってきました。当センター春の風物詩であるPEG含浸木器取り上げ作業です。今年度は令和3年4月19日から22日までの4日間、青谷上寺地遺跡整備室の職員と合同で行いました(写真1)。
例年必ずと言っていいほど春の嵐に見舞われ、突然の豪雨やテントを吹き飛ばす突風に打ちのめされていましたが、今年度は連日好天に恵まれ、スムーズに作業を完了することができました。
今回は作業の様子を前・後編の2回に分けてお伝えします。
写真1 作業風景
木器取り上げ作業は、PEGタンクからPEG溶液を抜き取るところから始まります。タンク下部に排水用のパイプがあり、そこから流れ出るPEG溶液をポリチューブの中に詰め(写真2)、チューブの口をひもで縛ります(写真3)。チューブ内のPEGは一晩経つとカチコチに固まります。これらは再利用するためにコンテナに入れて保管します。
写真2 PEGをタンクから抜き取る
写真3 チューブの口を縛る
タンク内の液面が下がって木器が露出してきたら木器を取り上げます(写真4)。熱湯で表面のPEGを洗い流し(写真5)、乾いた布で余分な水分をふき取ったら(写真6)、建物内の棚の上に並べて乾燥させます(写真7)。
写真4 タンクから木器を取り上げる
写真5 木器を熱湯で洗う
写真6 表面の水分をふき取る
写真7 棚を並べて乾燥させる
この一連の作業を、タンク内の木器がなくなるまで繰り返します。タンク内を清掃したら、いよいよ今年度分の木器の浸け込み作業に入ります。(後編につづく)
[令和3年5月掲載]
昨年、専門業者に保存処理をお願いした木製品20点が帰ってきました。状態が悪いものや漆塗りのもの、厚手のものなど、当センターでは処理が難しい木製品については、専門の業者に保存処理をお願いしています。センターを旅立った時は、大量に水を含みブヨブヨだったり、バラバラとなっていましたが、薬剤含浸や接合が施され、今や立派な姿に生まれ変わりました。
今回は容器類を中心としたラインナップで、中でも弥生時代前期(約2,500年前)の二脚盤(にきゃくばん)や弥生時代前期末(約2,300年前)の高杯(たかつき)の未成品、弥生時代後期(約1,900年前)の花弁(かべん)高杯、平安時代(約1,100年前)の漆塗りのお椀が特筆されます。特に花弁高杯は、接合する二片の内、一片だけが既に保存処理されており、もう一片を新たに保存処理して接合するという大変難しい作業となりましたが、違和感なく、上手く仕上がりました。また、赤色顔料や漆塗膜の分析も行っており、素材や塗り方など色々なことも分かってきました。
こうした木製品や分析結果は、来年度に開催する当センターの企画展示などで皆様にご覧いただく予定です。どうぞお楽しみに。
二脚盤
高杯の未成品
花弁高杯(下半部が新たに保存処理した破片)
漆塗椀
[令和3年3月掲載]
令和2年6月にお知らせした、鳥取市の本高弓ノ木遺跡から出土した約2,700年前の神代ケヤキで、現代の木工職人さんに作品を製作していただく試み(6月3日Facebook記事)ですが、寄木細工で著名な白谷工房(日南町)の中村建治さんから作品を寄贈していただきました。
作品は全部で4点。いずれも丸を基調としたデザインのネックレス、イアリング、ピアスとなっています。寄木の中で濃い褐色の木材が神代ケヤキであり、華やかな中にも現代の木材と調和した落ち着いた雰囲気があります。
このアクセサリーですが、間もなく商品化されるとの事ですので、白谷工房のHP等をチェックしてみてはいかがでしょうか。
白谷工房HP:https://shiroitani-koubou.com/
※フェイスブックで今回の作品について紹介されています(2月26日・3月3・5日記事)
神代ケヤキ出土状況
ネックレス
イアリング(左)とピアス(右)
[令和3年3月14日掲載]