令和4年7月30日、根雨駅(日野町)が開業して100周年を迎え、その祝賀セレモニーが開催されました。
8時半、開会の辞があり、来賓がかわるがわる根雨駅の100年を祝い、地域でどれほどの役目を果たしてきたかを讃えます。
セレモニーの実行委員長、田貝英雄さん(先の記事「たたらの学校で学んだこと」にもご登場!)は祝辞で、自身が昭和33年に高校を卒業し、電化前の伯備線で根雨駅から米子市に通勤したころの思い出を語られました。それはもう60年ほど前のことなのに、今でも同じ「キシャツーあるある」でした。
(汽車通勤・通学…電化されていても、汽車が一般的な地域ではそういいますよね!?)
それは、帰りは同じ便で帰る同級生らと車内で落ち合う、というもの。今でも、違う高校に行った友達と会いたいために、汽車の時間をあえてずらすといった話を聞きます。
田貝さんは、成人後はお酒も買って帰り、1時間20分の道中を「終業後の居酒屋列車」で過ごすこともあったそうです。
※コロナ禍の現在は、車内飲食は控えめに。
そして、くす玉割と、次に100周年を迎える黒坂駅へ切符の特大レプリカの贈呈式が行われ、セレモニーは無事に終了しました。
セレモニー後、100周年記念入場券が根雨駅のみどりの窓口で販売されました。
これをどうしても手に入れるために前日の朝6時に駅にやってきて、詳細を聞いてきた人があったそうです。
ただ、入場券のシリアルナンバーの1~200番は「金持テラス」内の「まめなか屋」での販売だったので、「1番狙い」のお客さんはまめなか屋へ下見に行ってしまったそうな…
(このお客さん、乗車駅は不明ですが、切符を買って普通列車で来たそうです。「廃線見直しの陳情をしに、車でやってきた」という笑えないエピソードが聞かれる中、下見のために電車で来る…という真面目な姿勢になんだか好感を持ってしまいました…)
逆に、根雨駅に来たからこそ、いい番号をゲットした人もいます。
それは、朝7時に松江発の電車で来てくれた岩崎克彦さん、島根大学の鐡道研究会の会長を務めるマイルドな鉄道ファンの好青年です。
写真のとおり、シリアルナンバー222。手にしたのは偶然!
(実は、岩崎さん、JRの懐鉄入場券もたまたま出かけていた先の大津駅(滋賀県)で、販売分の1番を引き当てたという強運の持ち主です!!)
根雨は大きな町ではありませんが、100周年に向けた地元の人の意気込みが違う、と駅長さんは語ります。
この度も、行事の前に地域の人々の手で駅舎とホームの清掃をし、待合室にはメッセージボードをしつらえられた。JR米子支社管内のほかの駅でも駅長を務めたけれど、有名観光地は、黙っていても人が来るせいか、行事にむけた地域の一体感をこれほどは感じられない、と。
たしかに、この度の祝賀セレモニーも主催したのは地元のみなさんで構成された「JR伯備線(根雨駅・黒坂駅)開業100周年事業実行委員会です。
駅長さんがJRに入られたころは、車掌をしていても、車内が歩けないほど混んでいた、といいます。現在でも通学ラッシュ時は混んでいますが、「昔の比じゃない」そうです。
100周年記念入場券の台紙にも使われた50年ほど前の根雨駅の写真では多くの人が往来しています。それが現在、朝と夕でも「空いている」のは、やはり少子化による通学者の減少が一番の理由だと実感されるそうです。以前は普通列車が3両編成だったこともあったそうですから…。
←窓口に並ぶ人々
それにしても、100年ですよ…
1世紀の間、地域に必要とされ、宿場町「根雨」の玄関口として、ここに在り続けたという感慨にグッとくるほかありません。
人口減とマイカー利用の一般化で、100年もたずに廃線となった線も多くある中、県内ではほかに米子駅、鳥取駅にしかない「みどりの窓口(有人!)」を備え、地域の利便性に文字通り貢献してきたことは、JRの側も地域を必要としてきたということではないでしょうか。
おめでとう、根雨駅100才。
次の200周年も「みんな」で迎えましょうね!
【メモ】記念入場券は根雨駅分が1800枚(1枚150円)発行され、令和4年12月末まで販売します。
まだ手に入りそうですから、ご興味のある方はお早めに!
※『電化40周年記念切符(台紙付き)』(3000円)もまだあります。
日野振興局 2022/08/03