11月19日、晴れ、気温12度、今日は福栄(ふくさかえ)のかしら打ち。
「日南のかしら打ち」は、前回記事で扱った多里のかしら打ちと、福栄のものとともに県の無形民俗文化財に指定されています。絶対こちらも見なくては!
そういうわけで、おとといから降り始めた雪が残る日南町福栄にやってきました。
(福栄神社の周辺)
「福栄のかしら打ち」は、現在は11月の第3日曜に行われる福榮神社の秋祭りの行事で、祝い事のある家、集落内の公民館の前(戸外)、最後に福榮神社に集まって太鼓を叩き、猿田彦(さるたひこ。獅子を導く)、獅子、茶利(ちゃり。おどけ役)が踊るものです。
なお、「公民館」は福栄すべての公民館ではなく、福栄を構成する4自治会のうち、その年の「トウヤ」(当番)となる自治会区の「小部落(こぶらく)」の各公民館です。
今年のトウヤは豊栄自治会です。その中の「大坂下部落公民館」に向かうと、公民館の前にはすでにもてなしの料理が並べられ、住民の方数名が一団の到着を待っています。
「ここで踊るのは4年に1度ですから楽しみです。昔、まだ11月26日とお祭り日が決められていたころは、3台も日ノ丸の臨時バスが出て、親戚みんなが来たものです。同じ日に紐おとしや親の長寿祝いもして…」と、昔を知る人が語ります。
どうやら単なる儀式ではなく、とてもにぎやかなもののよう。ワクワクしてきますね!
あっ、上(かみ)の方からたくさんの車や軽トラが来ました。一団の到着です。
烏帽子姿の打ち手が「かしらうち」と書いたのぼりを立て、公民館前の路上に太鼓もセットされ、獅子も来た…そしてあの派手なおっつぁんは…茶利かぁ!
一団は、多里のかしら打ちとは見た目からして全然違います。
音頭取りの人が「大坂下公民館のみなさんのご多幸を祝って…」と宣べて演舞の開始!
児童と大人はバチを持ち上げて打ち方用意、合図とともに猿田彦が動き出します。
(よーし、スタート!) (踊る猿田彦) (愛嬌のある茶利)
おぉー…型がある。型が。
軽やかだった多里の猿田彦もいいですが、こちらの猿田彦は型どおり勇壮に舞い、獅子を導いています。猿田彦も、そして茶利も衣装が華やか。おどけ役の茶利はちょっと間が抜けた感じの振りで、チャンパ(小型のシンバル)を打ち鳴らしながら同道します。
囃子ことばも慣れてくると、はっきりと歌詞を聞き取れます。「四方下がりし なかだかに さあなかだかに…」
猿田彦は路上を広々と舞台にし、獅子は地域の人の頭を嚙んで回ります。小さい子は怖がって泣き、もはや茶利すら怖い模様。
ここが集落内で踊る最後のポイントでしたので、次は福榮神社へ。記者は急いで先回り!
高い石段を上る福榮神社にもすでに多くの人が来ています。祭りに備えて手入れがされた境内を氏子のみなさんがお参りし、本殿では紐おとしのほか、小学5・6年の女子児童による巫女舞も行われていて、盛り上がっています。
石段の下から囃子が聞こえてきます。到着した一団が登ってきました。
「あなたの御門へ年々参る 一の門も開け 二の門も開け さて三の門もうち開け さあうち開け…」
本殿前に到着すると参拝客も笑顔で迎え、その後、一団はかつては祭りのときに相撲も取っていたという広場でスタンバイ。多里では銀杏の絨毯でしたが、こちらでは雪の上。
世話役が挨拶をし、音頭取りがここでも参拝者の多幸を祈り、演舞の開始。
明るい陽の下、雪も融けて乾いたアスファルト舗装の舞台もいい感じでしたが、木に囲まれて少しかげった境内の雪の上での演舞も趣があります。
(猿田彦の隣のお姉ちゃんの真剣な表情にご注目! 靴を履いていても冷たいだろうに、子どもたちもがんばっています!)
ちなみに獅子は演舞前の待機中、ちょこんと「伏せ」をしながらパクパクし、しっぽも動かす芸の細かさ。集落内ではなかった茶利との掛合いも見せてくれます。
茶利がチャンパで頭をコツン、すると獅子が茶利の後ろに回って、お尻をドン!
また、獅子はここでも子どもを泣かせ、茶利は祝いの餅をまいて歩きます。
最後は一礼して、かしら打ちは終了。
地域のみなさんは一団をねぎらって見送り、屋台で祭りのお楽しみである食べ物を買い、散っていかれます。栗まんじゅうは参拝前に予約しておく人さえいました。笑
午後3時半すぎに祭りは終了。福栄のかしら打ちが日南町の年内最後の祭礼だそうです。
鳥居を出て、見上げれば、ほんの少し気温も上がったような晴れた空…穏やかなこの福栄。最後の祭礼にふさわしい、よい日でした(´―`)
【おまけ1】手前の人とおんなじポーズで茶利さん、ゆっくり下りてきます。
「茶利をもう30年近くやっています。おもしろおかしくやって、見ている人が喜んでくれたらいい。昔は祭りの時以外も祝い事があればその家に行ってかしら打ちをしたものです」
【おまけ2】獅子のしっぽをつかむ子。
日野振興局 2023/11/27