防災・危機管理情報


  

コラム

       鳥取県教育委員 中島 諒人

2001年9月の米国でのテロを境に世界は変わったと言われた。国際的な秩序のあり方が変わったという意味だと思うが、正直言って私には「変わった」
という実感はあまり持てなかった。けれど昨年3月の地震によって、私にとっても世界は確実に変わった。いつまた巨大地震が襲うかもしれないこの島で、“放射能”を日常会話の一部にしながら、私たちは生きなければならない。生きる意味、生きる幸福は何かを考えろと、誰かに背中を押されている。

 子どもの頃の思い出。40年近く前の日曜日の朝。実家の横を流れる用水路のどぶさらいを、地区の大人の人たちが総出でやっていた。泥やヘドロやゴミ
の間を水が流れるような幅1メートルほどの側溝。農作業や雨に伴う水かさの増減はあるものの、普段は水深10センチもない。みんながゴム長靴で入り、くわやスコップで砂や汚泥を川に沿う市道にかき上げている。今よりも川が汚れていた時代。それほどにたいへんな仕事でもなかろうが、少し臭くて、楽しい
仕事でないのは子どもにも分かった。
 珍しいものを見たような気がした。大人が休日にそれぞれの職業を離れて、面倒なことなのにお金をもらわないで、隣近所の人といっしょになって行う。それが、ちょっと不思議なことだと、小学生の私には感じられた。小さいが印象的な記憶だった。

少し前、このことがふと思い出された。

「新しい公共」という言葉をよく聞く。「古い公共」は、公務員が担う、あるいはサービスとして対価を得て営まれるものということだろう。更に以前には
「もっと古い公共」もあった。生きていくことが現在よりはるかに困難な時代、それはさまざまな形で共同体の人を縛り付けた。必要なものではあっても、時に望まないことをきびしく人に強いる重たいものだった。そのしがらみ・地縁から脱して、村人から自由な市民になりたいと多くの人が思った。都市化、市
場経済が世の中を覆った。が、人が生まれて死んでいく過程は、もちろん「市場」だけでは支えられない。家族や地縁がかつて支えた部分は、「古い公共」で埋められた。経済の成長にも助けられて、社会のみんながお金を介してお客さんになった。

「新しい公共」の名の下に、なんでも民間に任せるという流れには到底賛同できないが、どんなことにもお客さんで、お金を払ってサービスを受けるだけという「古い公共」では、もはや社会が成り立たない。「社会」は「快適なホテル」ではない。各人がいろいろな役割を果たしながら、ともに生きる場所だ。それは最終的には、魂の問題だと思う。人は金や物や安楽のためにのみ生きるのではない。互いに尊重しあいながら、それぞれの幸福をさがすことのできる
新しい社会を作りたい。子どもたちに効率だけでは得られないさまざまな人間的な豊かさを示したい。そのために、まずは大人一人ひとりが主体的に社会に関わらなければならないだろう。直面する多くの問題解決のために、目先の利害から離れて理念を語り合い、信頼を築き、さまざまな形で行動しなければならない。
 教育現場においても、優れた信念をもった柔軟で創造力のある「新しい公共」の担い手の育成が一層求められると思う。努力目標としてではなく、喫緊の課題として。東日本大震災から一年を経て、あらためて強く感じている。  

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