今年は京都で起きた本圀寺事件から150年の節目の年。
本圀寺事件とは、京都で護衛していた鳥取藩の内部で、尊皇攘夷派が佐幕派重臣を襲った事件です。
その尊皇攘夷派が二十二名だったことから「因藩二十二士」と呼ばれています。
その後、自害、行方不明となった2名を除いた20名が、日野郡日野町黒坂に幽閉されました。
この節目の年に、幽閉先となった泉龍寺の三島道秀住職が因藩二十二士のほか、関係者1人、本圀寺事件で殺害された重臣ら五烈士を含め28名の御霊を供養することを計画し、事件のあった旧暦8月17日にあたる9月21日に法要と供養碑の除幕式が行われました。
会場には、因藩二十二士や五烈士の遺族、鳥取藩池田家から現在の当主池田百合子さん、平井鳥取県知事など関係者が集いました。そうそうたる顔ぶれが集まるのは初めてのこと。
そんな貴重なあつーい日を知ってか、朝からこれまた強い日差しが降り注ぐ晴天となりました。
法要前には、泉龍寺で保管されている因藩二十二士の遺品の見学や境内の散策、日野郡産のそばなどで遺族、関係者の方々が交流をされていました。
鐘の音で法要が始まりました。
泉龍寺三島住職の声がこだまし、焼香の香りが静寂な空気に漂います。
法要後には、記念碑建立イベントが行われました。
鳥取藩の初代藩主池田光仲から始まったといわれる麒麟獅子(きりんじし)、泉龍寺ゆかりの心形刀流(しんぎょうとうりゅう)の演武と幕末当時を彷彿させるような舞でした。
150周年を記念して立てられた供養碑、記念碑の除幕式が行なわれました!
因藩二十二士、関係者1人、五烈士の姿に見立てた石柱の後ろに本圀寺事件の歴史が刻まれた石碑です。
石柱には、事件の時の年齢が刻まれています。
28士が集まって立つ姿は、時代を超えて語り合っているみたいです。
また戦ってきた志士を静かに祈り、今の時代の平和に感謝する、とても良い法要でした。
記念碑と慰霊碑は、泉龍寺にてぜひご覧ください。
<情報>泉龍寺
所在地 鳥取県日野郡日野町黒坂421 →
地図
電話 0859-74-0140
Webページアドレス
http://www9.ocn.ne.jp/~senryu/
(by 中山間地域振興担当 K )
日野振興局 2013/10/07