現代部会ではこのたび、昭和17年に建設が進められた戸倉峠(若桜町)の軍用トンネル跡の調査を行いました。以前何度も調査をしたことのある近代部会田村達也委員の案内で、考古部会高田健一委員ほか1名と、『軍事兵事編』を担当する西村が同行しました。
八頭高等学校郷土研究部が地元の方の聞き取りを中心にまとめた資料によれば、以下のとおりです。
このトンネルは昭和17年に軍事用道路として内務省の管轄下で建設が始まり、19年工事中途で放棄されたものです。昭和31年開通の「戸倉トンネル」(平成7年「新戸倉トンネル」の開通により現在は封鎖)の50~70メートル上方に位置しています。朝鮮人労働者約100人と地元の男女約30人によって掘られ、導坑約430メートルを貫通し鳥取県側の入口は完成。昭和18年からはコンクリート打設が始まり、入口から100メートル地点までは巻立も完成しています。
内部はひんやりとした空気に包まれ、当時のコンクリート壁はそのまま、支保工材である杉丸太も残存していました。入口付近の天井から水が染み出し、大きなひびが認められましたので、崩落の危険性があり、足早に退去しました。
この軍用トンネルは、姫路第10師団がおかれた播磨地方と鳥取との通行、物資運搬を容易にするために建造られたものと推察されますが、当時の記録が残っておらず、建造の経緯や途中で放棄された理由などは分かっていません。
(写真1)旧戸倉トンネル脇の急斜面を50~70メートルを上りきったところ現れる軍用トンネル入口
(写真2)トンネル内部は高さ約4メートル、幅約6メートル
(写真3)トンネル奥は狭くなり、所々にコンクリートの木組みを外した跡があった
(写真4)内部から鳥取側入口方向をみたところ。
外の土砂が崩落し入り込んできている
県史編さん室
平成28年4月16日から19日の4日間、近代部会は国立公文書館(16日)、国立歴史民俗博物館(17日)、東京大学史料編纂所(18日)、東京海洋大学附属図書館(19日)で資料調査を実施しました。
今回は、平成29年3月刊行予定の『新鳥取県史資料編 近代6 軍事兵事編』に掲載する資料の調査として、国立公文書館においては『慶明雑録』(薩摩藩島津家所蔵の慶応・ 明治の雑録の写)を調査しました。
お忙しい中、調査に協力いただいた関係機関の皆様に、厚くお礼申し上げます。
(写真1)国立公文書館
(写真2)国立歴史民俗博物館の入口
(写真3)東京海洋大学の正門
県史編さん室