展示・イベント等

「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」の質問回答(その3)

  先月10日に開催した「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」では、時間の都合上、その場での質疑応答は行えませんでしたが、参加者に質問を書いていただき、後日HP上で回答を行うこととしておりました。最後は、鳥取出身の伊福部徳足比売臣(いおきべとこたりひめ)を中心に古代の女官について講演いただいた伊集院先生への質問に対する回答をご紹介します。
なお、大変多くの方から御質問がありましたが、全てにお答えすることは出来ませんので、ご了承ください。
(質問1)
  徳足比売の銘文に「采女(うねめ)」の字句がないのは、銘文を刻んだ目的が彼女の極位を示すこと、一族がそれを顕彰することにあったためとは考えられないでしょうか?文武天皇に仕える以前(父の名、いつ出仕したのか等)が刻まれていないのは、一族としては自明のことであったためと思われるのですが。
(回答)
  銘文に「因幡国法美郡伊福吉部徳足比売臣、藤原大宮に御宇大行天皇の御世、慶雲四年歳次丁未春二月二十五日、従七位下を賜わられ仕奉る」(原文漢文)と書いているのがポイントですね。彼女の極位を示すことが大事だったのは、もちろんです。同時に、古代の様々な史料をみると、その人がどの天皇(古くは大王です)に仕えたかということが重視されています。地方豪族と朝廷が、人を介して直接結びつくことが大事な時代だったからでしょう。徳足の銘文にも、藤原大宮で天下を治めた大行天皇、つまり文武天皇に仕えたことが「仕奉」という言葉で書かれています。古代の感覚からみると、ここが、最も記録したいことだったはずです。銘文は、「末代の君等」に墳墓の破壊を戒めました。この表現は、血縁の範囲にとどまらず、法美郡の将来のリーダーたちへの訓示と読めると思います。中央に出仕した徳足を、朝廷とこの地方をつなぐ役割を果たした女性として法美郡の人々が顕彰した、徳足を誇らしく感じた人々のなかに、父方母方、双方の血縁の人々も入っていたと私は考えています。
(質問2)
  自薦での出仕ルートについてですが、自薦の場合、全て採用されるのでしょうか。誰でも天皇の側で仕えることが可能だったのか、基準があったと考えるのか、どちらでしょうか?
(回答)
  古代では、采女に選ばれなかった地方豪族女性が、自ら望んで宮仕えするルートが開かれていました。彼女たちの多くは、出仕後はまず後宮十二司などに配属されて「女孺(にょじゅ)」と呼ばれる実務担当女官になります。彼女たちのような自薦の場合、すべて採用されるのかという質問ですが、難しい問いですね。彼女たちは、郡司や旧国造など、采女を出せる豪族と同じクラスの地方豪族の一員です。奈良時代の地方出身の女孺たちのなかには、令制前から朝廷の直轄地の管理を担った豪族や、貴重な特産品の産地の豪族の一員がいます。奈良時代後期には、東大寺の荘園があった地域の豪族女性の出仕もあります。このような例から、中央との結びつきが出仕に有利に働いたのではないかと私は推測しています。採用にあたっては何らかの施行細則があったと思いますが、なにしろ史料不足で、いまのところ断定はできません。今後、史料の精査によって明らかになるかもしれませんので、研究状況を見守っていただければありがたいと思います。

青谷横木遺跡出土人形(女性)

青谷横木遺跡出土人形(女性)

青谷横木遺跡出土人形(男性)

青谷横木遺跡出土人形(男性)


「古代まつりin埋蔵文化財センター Mini Edition」で、新たな古代体験として「山城ジオラマを作ろう!」を開催します!

  先日御案内した「古代まつりin埋蔵文化財センター Mini Edition」では、発掘体験とともにいろいろな古代体験を行います。
 今年、新たな体験として、「山城ジオラマを作ろう!」を企画しました。これは、鳥取県が行った「航空レーザー測量」のデータを加工し、約2500分の1の大きさに3Dプリンタで打ち出して作ったものです。山城の曲輪や斜面に砂やコケなどを木工用ボンドで貼り付けると、写真のようなリアルな山城の完成です。

 今回は、当センターが調査を行っている「狗尸那(くしな)城」(鳥取市鹿野町)と、「若桜鬼ヶ城」(若桜町)の2城を御用意しました。土の城と石垣の城、どちらか好きな城を選んでいただけます。
 「古代まつりin埋蔵文化財センター Mini Edition」は、各日とも定員までまだ若干余裕がありますが、お申込みはお早めにどうぞ。

狗尸那城

狗尸那城

若桜鬼ヶ城

若桜鬼ヶ城


「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」の質問回答(その2)

 先月10日に開催した「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」では、時間の都合上、その場での質疑応答は行えませんでしたが、参加者に質問を書いていただき、後日HP上で回答を行うこととしておりました。第2回目は、弥生・古墳時代の副葬品と性差について講演いただいた清家先生への質問に対する回答をご紹介します。
  なお、大変多くの方から御質問がありましたが、全てにお答えすることは出来ませんので、ご了承ください。
(質問1)長瀬高浜1号墳(湯梨浜町)の女性首長についてわかる(推察できる)ことをできるだけ詳しく知りたいです。
(回答)長瀬高浜1号墳は直径24mの円墳です。5世紀中頃から後半の古墳です。同遺跡には周溝を持つ古墳が37基検出されていますが、その中でも最大規模でありかつ初期のそれの一つです。1号墳の中心埋葬は箱形石棺で、そこから熟年女性人骨が検出されました。1号墳の周溝内外には墳丘を持たない小規模な埋葬が20基弱も設けられています(周辺埋葬)。彼女は、そうした周辺埋葬被葬者を率いたリーダーであると同時に、長瀬高浜遺跡を構成する集団全体の長だった可能性があります。
(質問2)古墳時代中期には男性首長が多くなる理由は戦い、武力が中心的なものとなるとのことですが、前期には少ないとお考えですか。ヤマト政権は基本的に軍事政権であったとお考えですか?
(回答)ヤマト政権は前期から軍事的要素がありましたが、前期は軍事より青銅鏡に代表される祭祀儀礼をより重視していたと考えます。中期になり、とくに韓半島における軍事的緊張がヤマト政権の軍事政権化を促したものと考えます。それが、首長層における男性の優位性を促進させました。

長瀬高浜1号墳全景

長瀬高浜1号墳全景

長瀬高浜遺跡1号墳埋葬施設内

長瀬高浜1号墳埋葬施設内


「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」の質問回答(その1)

 先月10日に開催した「とっとり考古学フォーラム2021 古代の女性史」では、時間の都合上、その場での質疑応答は行えませんでしたが、参加者に質問を書いていただき、後日HP上で回答を行うこととしておりました。初回は、古代の女性全般について講演いただいた義江先生への質問に対する回答をご紹介します。
なお、大変多くの方からご質問がありましたが、全てにお答えすることは出来ませんのでご了承ください。

(質問1)青谷横木遺跡出土木簡の「宅」は、「五百井(いおい)女王家」と記される場合の「家」と同様の経営拠点を含めた家政機関全体と捉えてよいでしょうか?
(回答)その通りです。五百井女王(母は光仁天皇の娘)は高位の女官で、地方に墾田などを所有していて、その寄進文書が残っています。こうした墾田などの経営は、朝廷から任命された役人によって運営されていました。「ヤケ」は漢字では「宅」とも「家」とも書かれます。三位以上の男女貴族の家政機関の役人は「家司」、四位~五位は「宅司」です。ただし、青谷横木遺跡木簡の「宅」は、こうした公的性格をもつ貴族の家政機関ではなく、地域有力者による農業経営のための組織だったと考えられます。いずれにしても、「ヤケ」は家族ではなく個人単位に設けられる組織で、たんなる住居ではなく事務所のようなもの、という点では共通しています。

(質問2)7~8世紀の8代(6名)女帝の子の天皇(女系天皇)がない理由は何でしょう?
(回答)古代は双系社会でした。だとすれば、父母が天皇である人物が即位した場合、それは男系天皇でしょうか?女系天皇でしょうか?六世紀の世襲王権形成以降、血統の尊貴性を高めるために、王族は濃厚な近親婚をくりかえしました。ですから、天皇の多くは、父方・母方のどちらをたどっても天皇の血をひいているのですが、これまでは双系という視点がなかったため、男系の血筋にのみ注目してきたのです。例えば、天智天皇・天武天皇の父は舒明天皇、母は皇極(斉明)天皇です。また、元正天皇の父は草壁皇子、母は元明天皇です。皇極(斉明)天皇も元明天皇も、天皇としての権力を確立し、その統治実績にもとづいて自分の息子・娘に王位を伝えました。日本令は、モデルとした中国令の条文にあえて手を加えて、「女帝の子」も親王として即位資格を持つと明記しています。

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「宅」が書かれた青谷横木遺跡出土勧請(かんじょう)板


真夏の湖山池で火起こし体験

 令和3年7月24日(土)に火起こし体験等の出前講座を行い、鳥取市湖山町南団地子ども会の10名が参加されました。
 今回講座を行った湖山池にある青島は、縄文時代から古墳時代の遺物が出土しています。講座ではまず湖山池が時代によって形を変えていることや、縄文時代から古墳時代までの湖山池周辺の人々の暮らしぶりについて話をした後に、「舞錐(まいぎり)」を使った火起こし体験をしました。
 最初は舞錐を上手に回すことができなかった子どもたちも、だんだんと慣れてきて一所懸命に火起こしに挑戦して、大人に手助けしてもらいながら火を起こすことができました。なかには火種ができながら火をつけることができずに残念がっていた子どもたちもいましたが、みんな地域の歴史を楽しく学ぶことができました。

photo08021 火起こしの方法を学ぶ皆さん

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みんなで協力して火起こしに挑戦


「古代まつりin埋蔵文化財センター Mini Edition」日程変更のお知らせ

 先日御案内したばかりの「古代まつりin埋蔵文化財センター Mini Edition」ですが、鳥取県東部への「新型コロナ厳重警戒宣言」および「鳥取県版新型コロナ警報」が発出されたことから、下記のとおり日程を変更し、一部を中止させていただくことになりました。
 8月7日(土)、9(月・休)、10日(火)は、3日とも全て中止します。この間に実施予定だった「発掘を体験しよう!」は、8月20日(金)~22日(日)の実施に変更します。その他の体験内容や定員、時間等には変更はありません。
 楽しみにされていた皆様には大変申し訳ありませんが、新型コロナウイルス感染症感染拡大を防ぐために、御了解いただければ幸いです。

日程変更後のチラシはこちらをクリックしてください→(pdf:1300KB)


「古代まつりin埋蔵文化財センター Mini Edition」を開催します!

 毎年夏恒例の大人気イベント、鳥取県埋蔵文化財センター「古代まつり」は、様々な古代体験メニューを用意し、多くの参加者の皆さんに、気軽に古代を体験していただくとともに、考古学や埋蔵文化財にも親しんでいただいていました。
 しかしながら、昨年からの新型コロナウイルス感染症拡大のため、昨年度は期間と形を大きく変えて「週替わり!まいぶん古代体験の夏」として、週替わりで古代体験を用意し、完全申込制として開催しました。
 今年は、例年どおりの1日開催として準備を進めたものの、県内での新型コロナウイルス感染症拡大を受けて検討した結果、昨年度同様、分散しての開催とすることとしました。
 8月7日(土)~10日(火)(8日(日)は除く)と、8月20日(金)~22日(日)の2回に分け、1日に体験を日替わりで1個~2個、午前午後1回ずつ実施します。1回の定員は8名で、完全申込み制とします。
 例年大人気の「発掘体験」のほか、「山城ジオラマ」や「分銅形土製品」の製作など、新たな体験も御用意しています。気軽に楽しむことは難しいのですが、その分、じっくりと取り組んでいただけると思います。申込み締切りは希望日の2日前までです。どうぞ御参加ください。

※開催変更となっています。最新情報をご確認ください。


企画展「いにしえの器 Part2」の展示品の紹介(その1)

 令和3年7月16日から当センターで開催している企画展「いにしえの器 Part2」で展示している遺物を紹介します。
 今回は、鳥取市青谷町の青谷横木(あおやよこぎ)遺跡から出土した、奈良~平安時代(約1300~900年前)の漆器椀(しっきわん)を取り上げます(写真1)。昨年度に保存処理が完了したばかりで、今回が初のお披露目です。この漆器椀を裏返すと、中心あたりにいくつかの小さなくぼみが見えますが、これはろくろの爪あとと思われます(写真2)。

 ろくろとは木材を回転させ、刃物を当てながら削って加工するための道具です。陶芸用のろくろを横倒しにしたものを想像してください。木材を割って大まかな椀の形を作りだしたら、ろくろの軸の先に付けられた鉄の爪に差し込み、1人が軸に巻いた綱を手で引いて回転させている間に、もう1人が刃物で削って椀の形に加工します。

 ろくろから椀を取り外したあと、通常は削って爪あとを消しますが、この漆器椀はどういった理由かはわかりませんが、爪あとが残されたようです。展示ではガラス台の下に鏡を入れて、裏側が観察できるようにしています。ぜひ実物をご覧ください。

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写真1 漆器椀

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写真2 裏側


出前講演「火起こしワークショップ」を行いました!

 令和3年7月18日(日)に鳥取市国府町あおば地区公民館の依頼により、出前講演「火起こしワークショップ」に参りました。
 公民館行事「デイキャンプ」のプログラムのひとつとして活用いただきました。12家族、約30名の皆さんが古代の火起こしにチャレンジされ、真夏の暑い中ではありましたが、半数を超えるご家族が火起こしに成功されていました。起こした火は、火起こしワークショップの次のプログラムの「バーベキュー」の火に利用されていました。
 「火を起こすのがこんなに大変とは。」、「暑かったけど楽しかった。」などの感想をお聞きすることができました。

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火起こしの説明の様子

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家族で協力して火起こし

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真夏の日差しを避けての火起こし


企画展「いにしえの器Part 2」

 令和3年7月16日(金)から当センター展示室で、漆器(しっき)をテーマにした企画展「いにしえの器Part 2」を開催しています。
 英語でjapanとも呼ばれる漆器は、まさに日本を代表する伝統工芸品です。その歴史は古く、今から約1万2000年前の縄文時代草創期までさかのぼるともいわれています。
 漆器が出土することはまれですが、鳥取市気高町所在の下坂本清合(しもさかもとせいごう)遺跡など、まとまった量の漆器が発掘調査で出土した遺跡もみられます。
 この企画展では当センターが収蔵する弥生時代前期から江戸時代までの50点以上の漆器を集めました。複数の遺跡から出土した異なる時代の漆器を一度にご覧いただける、またとない機会ですのでお見逃しなく!会期は令和3年8月27日(金)までです。

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企画展全景

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江戸時代の漆器

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センター紹介

 久松山地域は戦国時代以降鳥取城が築かれ、鳥取藩32万石の中心地でした。現在でもこの地域は県庁があり、行政の中心地となっています。

 しかし、戦国時代から遡ること約800年前の奈良時代、県庁から4キロほど離れたこの国府町に国史跡因幡国庁(現在の県庁にあたるもの)がありました。今ではひっそりとした田園地帯ですが、因幡三山(甑山(こしきやま)、今木山(いまきやま)、面影山(おもかげやま))に囲まれ、当時の面影を残す万葉の歴史と古代の出土品にあふれた万葉の里となっています。
 この歴史豊かな万葉の里の一角に埋蔵文化財センターはあります。


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