平成25年8月23日(金)、民俗部会は倉吉市河原町(かわらまち)で行われる地蔵盆の調査を実施しました。
行事の中心となる河原町の東西の2つのお地蔵様のうち、東地蔵は1773(安永2)年に先祖の供養と町の安泰を願って立てられました。また、西地蔵は1893(明治26)年の大洪水で流されたお地蔵様が堤防改修工事中にたくさん出てきたことから、それを1箇所にまとめ、後の1932(昭和7)年に堤防の一角に祠を建てて安置したものといいます。
地蔵盆は、東のお地蔵様が立てられて以来続いていると言われています。子どもが行う地蔵祭の始まりは不明ですが、大将(中学1年)、中将(小学6年)、少将(小学5年)という縦割りの子ども組が実施し、かつては縦割りの上下関係を学ぶ場であったといいます。
行事では、子どもたちが鐘を鳴らし大数珠を輪にしながら町を巡回、無病息災を祈願します。また参拝者からのお供物を受け付けて、お札を配布するなど重要な役割を果たします。これは伝統的な子ども組行事の特徴です。重要な役割を果たす子どもたちは、生き生きと役割を果たしており、祭礼の際には僧侶ともに一生懸命読経し、説教も真剣に聞いていました。
かつて倉吉の中心的な町であった河原町も少子高齢化が進み、子どもの人数が減少しているようですが、今後もこの祭が続いていくことが期待されます。
最後になりましたが、調査に御協力いただいた河原町地蔵祭り実行委員会の皆様にに御礼申し上げます。
(写真1)倉吉市河原町の東のお地蔵様
(写真2)午後1時の巡回をする子どもたち。
巡回は午前10時、11時、午後は13時、14時、16時に行われます。
(写真3)午後4時の巡回をする子どもたち。
中学校が登校日のため、午前は中将と少将(小学5、6年生)のみでしたが、午後は大将(中学1年生)も加わりました。
(写真4)東地蔵での祭礼の様子
(写真5)僧侶が教典で祭礼参加者の肩をたたく様子【東地蔵にて撮影】
(写真6)僧侶の説教を真剣に聞く子どもたち【西地蔵にて撮影】
(写真7)参詣者からお供えの団子を受け取る大将(中学1年生)【西地蔵にて撮影】
(写真8)奉納された団子のうち1本を地蔵前の線香であぶり参詣者にお返しします【西地蔵にて撮影】
(写真9)参詣者に配布されるお菓子、団子とお札子
(写真10)この数珠が入った桶が賽銭(さいせん)箱です。
体の悪い部分に数珠を当てると良くなるといわれ、参詣者が腰に数珠を当ています【西地蔵にて撮影】
(写真11)子どもに数珠を当てる母と祖母
「頭が良くなるように」と祈願しました【東地蔵にて撮影】
(写真12)巡数珠を体に当てる子どもたち【東地蔵にて撮影】
勉強が出来るようになりたいときは頭、足が速くなりたいときは足に数珠を当てるそうです。
(写真13)丁寧に参拝する子どもたち【西地蔵にて撮影】
(写真14)出店がでて野外ライブなどが行われていました。若者も多く賑やかでした
県史編さん室