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NHK大河ドラマ「篤姫」(平成20年放映)には、鳥取池田家と関わりがある人物が登場しました。それは篤姫を養女とする薩摩77万石の11代藩主島津斉彬(なりあきら)(高橋英樹さんが演じていました)です。幕末動乱期において英明の君主と称され、西郷隆盛等の優れた人材を育成したことでも知られる島津斉彬ですが、その実母が鳥取池田家6代藩主池田治道(はるみち)の娘「弥姫(いよひめ)」なのです。
  弥姫は寛政3(1791)年に江戸で生まれ(母は正室生姫)、文化4(1807)年に薩摩藩主島津斉興(なりおき)に嫁ぎ4男1女(2男子は早世)をもうけます。その長男は薩摩藩主島津斉彬、次男は備前岡山藩を継いだ池田斉敏(なりとし)です。弥姫は学問の才があり、信心深く、凛とした気品が備わった女性であったとされますが、文政7(1824)年に江戸で逝去します。法号は賢章院(けんしょういん)、享年34歳でした。
  ドラマの中では、宮崎あおいの演じる篤姫が「なぜ自分を養女にしたのか」と斉彬に尋ねる場面があります。しばらく考えた斉彬は「(篤姫が)母親にとてもよく似ているからだ」と答えます。そして、母である弥姫が大名家の正室としては異例なことに、子育てを乳母に委ねることなく、斉彬らを手ずから厳しく愛情をもって育ててくれたこと、弥姫の婚礼調度品の中には当時の女性には珍しく歴史書など本がたくさんあり、いざという時に備えて鎧・甲まであったという逸話を語って聞かせています。型破りとも言える名君・島津斉彬の人格形成には母・弥姫の影響が大きかったようで、それはドラマ「篤姫」のストーリーの下敷きともなっているように思われます。
  池田治道は多くの子宝に恵まれていますが、弥姫以外にも「三津姫」は、長州藩主毛利斉熙(なりひろ)に嫁ぎ、「幸姫」は肥前佐賀藩主鍋島斉直(なりなお)に嫁いでいます。幸姫は斉直との間に4男4女をもうけ、その3男は幕末の名君として知られる10代藩主鍋島直正(閑叟(かんそう))です。
  こうして鳥取池田家の姫たちは、明治維新の礎を築いた各藩で活躍したのです。
 
※池田家墓所には、弥姫の父池田治道と母生姫(昭和5年に江戸の菩提寺より改葬)の墓があります。
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