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写真1南部町下阿賀の申し上げ秋は田んぼが黄金色に染まる実りの季節で、収穫を祝うお祭りが各地で行われます。皆さんにとって収穫祭といえば、何の作物の収穫を思い浮かべるでしょうか?学校や公民館などで栽培されるサツマイモが案外身近に感じられるかもしれませんね。

さて、日本のお祭りで収穫の儀礼といえば、やはり米が主役です。それも一度の儀礼ではなく、節目ごとに繰り返し行われてきました。

まず稲の刈り入れに先立って「穂掛け」が行われます。これは稲の初穂を神前に供えて収穫を祝うもので、伯耆では八朔(旧暦八月一日)に行うところが多くみられます。八朔の頃は、いよいよ収穫を迎えるものの、台風や鳥の害の心配も多く、無事に収穫できることを神に強く願ったと思われます。

そして無事に稲刈りを終えることができたら、「鎌祝い」あるいは「刈り祝い」を行いました。南部町では餅つき臼の上に箕を載せて、その中に稲束と稲刈りに使用した鎌を並べ、ショーケ飯(五目飯)を炊いて供えたといいます。また、刈り入れの後、稲を稲架(イナキまたはハデなどと呼ぶ)にかけて乾燥させ、脱穀を行いますが、その時も「扱き祝い」という祝いを行いました。脱穀に用いた千歯扱きや脱穀機に御供えをしたといいます。

これらの儀礼はいずれも家ごとに行ったものですが、それとは別に村の神社でも秋祭りが行われます。県西部の広い地域で11月から12月にかけて行われる「申し上げ」は、「収穫を神に感謝申し上げる」祭りといわれており、多くの御幣や藁で作った大きな蛇を奉納するのが特徴となっています(写真1)。また、県東部から中部にかけて、旧暦11月に「霜月祭」写真2湯梨浜町田後神社と呼ばれる厳重な忌み籠もりを行う祭りがみられます。湯梨浜町の田後神社では、5軒の当番が海水で身を清め、深夜から玄米を釜で炊き、炒った大豆や大根の輪切りなどをかき混ぜて御供をつくり(写真2)、神様に1年の収穫を報告します。

こうした繰り返し行われる儀礼からは、人々にとって、いかに稲作が生活の中心にあり、大事にされてきたかがよくわかります。昔から行われてきた行事にはどのような意味がこめられているのか、時には振り返って先人の思いに触れてみてはいかがでしょうか。
  

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