「日本遺産(Japan Heritage)」は地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として文化庁が認定するものです。
ストーリーを語る上で欠かせない魅力溢れる有形や無形の様々な文化財群を,地域が主体となって総合的に整備・活用し,国内だけでなく海外へも戦略的に発信していくことにより,地域の活性化を図ることを目的としています。
日本遺産の詳細については、文化庁ホームページをご覧ください。
日本海から吹きつける季節風が創り上げた日本最大級の鳥取砂丘。目に見えぬ風の姿がさざ波模様の風紋(ふうもん)に映し出され、海岸を進むと風が起こす荒波に削り出された奇岩(きがん)が連なる。鳥取砂丘の砂を生み出す中国山地へと急流を辿ると、風がもたらす豪雪に育まれた杉林を背に豪邸が佇む。さらに源流へと分け入ると岩窟の中に古堂(こどう)が姿を現す。
これらは日本海の風が生んだ絶景と秘境である。
人々は、厳しい風の季節での無事とそれを乗り越えた感謝を胸に、古来より幸せを呼ぶ麒麟獅子(きりんじし)を舞い続け、麒麟に出会う旅人にも幸せを分け与えている。
写真:鳥取砂丘と麒麟獅子舞
写真:鳥取砂丘
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中国地方の北側、山陰東部に位置する因幡(いなば)・但馬(たじま)地方は、北は日本海に面し、背後に中国山地の高い山々が連なっている。
この地域に吹きつける日本海からの激しい北西の季節風は、中国山地にぶつかり、「山雪(やまゆき)」と呼ばれる豪雪を山間部にもたらすとともに、鉛色の海に海岸を削る荒波を起こし、川が山地の岩石を砕いて海まで運んだ砂を巻き上げ、日本最大級の「鳥取砂丘」を誕生させる。
写真:鳥取砂丘の砂簾(されん)
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見渡す限り、一面に広がる砂。
ある時は豪快に、またある時は穏やかにその表情を変える。
鳥取砂丘では、高低差が90mにもなるダイナミックな起伏をキャンバスに、さざ波模様の「風紋(ふうもん)」をはじめ、砂がスダレ状に滑り落ちる「砂簾(されん)」や砂が高く隆起する「砂柱(さちゅう)」など、目には見えない風の姿が描かれている。
砂のキャンバスに足跡を残しながら「馬の背(うまのせ)」と呼ばれる巨大な砂の壁を登り詰めると、日本海を超えて辿り着いたばかりの風を感じることができる。
写真:鳥取砂丘の砂柱(さちゅう)
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鳥取砂丘は、中国山地から流れ出た岩石が川の流れにより砕かれ、砂となって海へと運ばれた後、長い年月をかけて風の吹き返しにより大砂丘へと成長を遂げたものである。
その西端にある「不増不減(ふぞうふげん)の池」は、季節を問わず水の量が一定に保たれ、古事記に登場する因幡の白兎が体を洗ったとされる。
写真:青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)
の出土遺物
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荒波が運ぶ砂は鳥取砂丘を創り出すだけでなく、海に砂が帯状となって伸び出す砂州(さす)を成長させ、波静かな数多くの潟湖(せきこ)を人々に与えた。
約2,000年前の弥生人たちは、潟湖を港として利用した青谷上寺地遺跡(あおやかみじちいせき)の地に、中国大陸や日本列島各地との交易を行った証を大量に残しており、当時の技術や芸術性の高さを今に伝えている。
こうした大地の営みを一つの遺産として、人々は砂の彫刻「砂像(さぞう)」で新たな造形美を創り出すなど、砂の魅力を自らの手で進化させている。
写真:千貫松島(せんがんまつしま)
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鳥取砂丘から日本海に沿って進むと、荒波が岩を削り取って造形した龍や獅子の躍動する姿を思わせる奇岩(きがん)や洞窟(どうくつ)、断崖(だんがい)、入り江を白く彩る砂浜など、約50kmにもわたって連なる多彩な海岸地形の世界を楽しむことができる。
崖上や深く切り込んだ入り江などの人の往来が困難な場所に荒波を避けて点在する漁村集落や、山が海に迫る崖を跨(また)ぐ鉄道として敷設(ふせつ)された「余部鉄橋(あまるべてっきょう)」は、複雑に入り組んだ海岸と人との共生の歩みを象徴しており、空の駅と呼ばれる天高く延びる鉄橋からの大パノラマは訪れる人々を魅了する。
写真:浦富海岸(うらどめかいがん)
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日本海を見下ろす崖上の岬に立地する「御崎集落(みさきしゅうらく)」は、他の集落との交流が隔絶されたことで、平家の落人伝説が残る。
そこでは、眼を描いた的を源氏に見立てて101本の矢を射る「百手(ももて)の儀式」を今も見ることができる。
これらの漁村集落では、松葉ガニ漁や白イカ漁の拠点となる港が賑わいを見せ、風に耐える板囲いをした家が重なり合うように軒を連ねている。
江戸時代から続くこうした佇まいは、美しい海岸線とともに、風が起こす荒波と共生する人々の暮らしと漁業の繁栄を表している。
写真:石谷家住宅(いしたにけじゅうたく)
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鳥取砂丘の砂を生み出す中国山地へと急流を遡(さかのぼ)ると、冬には「山雪」に深く覆われる山郷へ辿り着く。そこでは無数の深い谷の奥に茅葺屋根の小さな山村がひっそりと隠れ、鬱蒼とした杉林を背に豪邸が佇む。
山間部の繁栄を象徴する「石谷家住宅(いしたにけじゅうたく)」は、かつて宿場町として栄えた古い町並みに佇む大正期に建築された豪邸で、広大な敷地の中に7つの蔵と40を超える部屋を有する。主屋の土間に入ると、巨木を使った梁組(はりぐみ)が14mもの高さに組まれており、訪れる者を圧倒する。
写真:智頭の林業景観
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こうした大邸宅は、江戸時代から続く林業の繁栄によって生まれたもので、高窓からの採光や太い梁・柱などに豪雪への備えを見ることができる。
冬の豪雪と寒さは、枝が雪の重さで下向きに成長する木目の詰まった天然の杉を誕生させ、人々はこの天然杉を挿し木で増やし、この地に適した優良大径木(けいぼく)の杉林を育てあげた。
樹齢約350年の「慶長杉(けいちょうすぎ)」と呼ばれる日本最古の人工林は、山を生業の場とした長い歴史を物語り、繁栄をもたらした杉への感謝の念は、杉の精霊を祀る白い三角形の塔を御神体とする「杉神社」となって表れている。
写真:若桜鉄道の手動式の転車台
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杉の人工林と里山の天然林が織りなす美しい林業景観では、酒蔵や家々の軒先に吊るされた杉玉と冬の雪灯篭の灯りが、杉の香りとともに旅人を出迎えてくれる。
杉材や木炭などの森林資源の輸送路として、昭和初期に開業した「若桜鉄道(わかさてつどう)若桜線(わかさせん)」では、開業時に建てられた木造の駅舎が立ち並び、終着駅に降り立つと、手動式の転車台で転回する蒸気機関車が残っている。
写真:不動院岩屋堂(ふどういんいわやどう)
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駅前には積雪に耐える赤瓦を葺いた白壁の土蔵が立ち並び、豪雪対策として家の庇を道路側に伸ばした「カリヤ」と呼ばれるアーケードと山からの清流を運ぶ水路が通りに沿って続いている。
これらは明治18年の大火を契機に、住民自らが設置したものであり、カリヤの下では、雪の日でも水路のせせらぎとともに人々の話し声が今も響いている。
雪化粧が似合うこの町を背に、さらに源流へと分け入ると、仰ぎ見る天然の岩窟に、舞台造りの「不動院岩屋堂(ふどういんいわやどう)」がすっぽりとおさまり、神仏の宿る岩窟の中では、村人たちが1,000年以上もの間、護摩(ごま)の煙を立ち昇らせている。
写真:宇倍神社(うべじんじゃ)の麒麟獅子
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この地では一角をもつ黄金の頭(かしら)に緋色の衣装を纏った「麒麟獅子舞」が、約180の村々に継承され、舞われている。
麒麟は他の生き物を傷つけない泰平の世の象徴とされた中国に伝わる霊獣で、約370年前に初代鳥取藩主・池田光仲(いけだみつなか)が偉大な曾祖父・徳川家康(とくがわいえやす)を祀るために創建した神社の祭礼で、麒麟の顔を持つ獅子舞として初めて姿を現した。
きらびやかなその姿を見た人々は、幸せを呼ぶ存在として、自分たちの村の祭りにも取り入れたいと強く願った。麒麟獅子はその顔や舞の作法など、村ごとに異なる個性と形態を生みながら、この地に広がり受け継がれていった。
風は砂・波・雪の賜物を人々に与えた一方で、飛砂(ひさ)や荒波、豪雪などの厳しい自然に対峙する暮らしを人々に課してきた。
写真:大和佐美命神社(おおわさみじんじゃ)
の麒麟獅子舞
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これから迎える厳しい風の季節での無事とそれを乗り越えた感謝を胸に、人々は古来より幸せを呼ぶ麒麟獅子を舞い続け、麒麟に出会う旅人にも幸せを分け与えている。
因幡・但馬は、日本海から吹きつける風と人の共生の地であり、麒麟獅子を心のよりどころに、砂・波・雪の厳しい自然を受け入れ、風とともに生きる人々の知恵と逞しく生き抜いてきた歴史が息づいている。