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2013年2月18日
平成25年2月18日から再び余井(よい)古墳の鉄器実測が始まりました。
調査員は、前回と同じく岡山大学大学院生の渡瀨健太氏です。久々の再会に湯村専門員と話が弾んでいる様子です。渡瀬調査員は、これから2月21日まで鉄器実測をされます。
(写真1)思わず笑顔のこぼれる渡瀬調査員(左)と湯村専門員(右)
(写真2)実測中の渡瀬調査員
県史編さん室
公文書館 2013/02/18
in 県史編さん室,調査
2013年2月14日
平成25年2月14日、旧多里村役場文書調査の最終日を迎えました。
本日は岸本委員と石田委員が参加されました。岸本委員が注目したのは、日露戦争の動員関係の資料です。各村に物資や人手を出すようたくさんの通知が出されており、国をあげて戦争に協力する体制となっていることがわかるそうです。「日清戦争の頃に比べて国家総動員体制が進められていることがわかった」とのことです。また、戦争関係の資料の分厚さにも注目されていて、戦争というのはたくさんの書類を必要とするものなんだなあ、と感じたそうです。
そして昨日に続いて参加の石田委員の注目資料は、終戦直後の学校教育に関する資料です。「国史・修身の授業を全てやめて、その時間は英語の時間にあてるよう通知が出されている。全く逆のことにあてなさい、と言うんだからすごい。日本中のいろいろなところで昨日とは逆のことをしろ、と言われたんだろうな」とのことでした。この3日間で調査の終わらなかった委員の方々は、資料の里帰りまでにまた公文書館に来て下さるそうです。
(写真1)協議中の岸本委員(左)と喜多村委員(右)
(写真2)資料解読中の石田委員
県史編さん室
公文書館 2013/02/14
in 県史編さん室,調査
2013年2月13日
平成25年2月13日、昨日に続いて旧多里村役場文書調査を実施しました。
本日は、佐々木委員が参加してくださいました。今回佐々木委員が選んだ資料は、学童の戦争教育の資料で、とても細かいことまで記されています。
まずは召集令状に似せた紙を生徒に送り、校舎を基地に見立てて授業を行ったようです。この召集令状や基地の見取り図をはじめ、授業のタイムスケジュール、最後の試験結果まで残されていました。「通して調べるととてもおもしろい資料です。これから細かく読んでみたいです」とのことでした。
さらに本日は石田委員も参加してくださいました。石田委員が選んだ資料は、大正7年に出された教職員給与大幅アップの資料です。「原因は物価高騰と書いてあります。大正7年と言えば、米騒動と同じ年だから、米騒動が原因だと思う」とのことでした。全国的な動きとリンクしていることがわかる資料のようです。旧・多里村文書の資料調査は明日まで続きます。
(写真1)協議中の佐々木委員(左)と清水専門員(右)
(写真2)協議中の佐々木委員(左)と清水専門員(右)
県史編さん室
公文書館 2013/02/13
in 県史編さん室,調査
2013年2月13日
平成25年2月12日公文書館にて兵事・軍事編の資料検討会を行いました。
岸本近代部会長の司会のもと、喜多村委員、岩佐委員を中心に昼休憩に入っても白熱した議論が続けられました。「これからがんばって資料調査を行います」と喜多村委員が意気込んでおられました。
そして資料検討会の後に旧・多里村役場文書の調査を行いました。長く公文書館に寄託されていた多里文書の里帰りが急に決まり、年度末を目標に資料調査を行うことになりました。今回はその一回目の調査です。
本日の調査には多忙な業務の合間をぬって、教育専門の白石委員が参加してくださいました。
今回印象に残った資料は、郡役所から旧・多里村役場に出された就学率向上のための督促状だそうです。明治時代に義務教育令が施行されたものの、多くの子供はまだまだ学校に行けていない状況にありました。そこをなんとかするよう郡役所から村役場に督促状が出されるのですが、その数がすごいそうです。「一週間おきに出されている時期もあります。子供は大切な労働力だった時代だから、なかなか学校に行かせられないし、かといって郡役所も就学率向上をとても重要視しているようだし…。当時の郡の考え方や間に立たされた村役場の状況がわかるおもしろい資料です」とのことでした。
この旧・多里村役場文書の調査は12日から14日まで3日間行います。文書の里帰りまでに資料調査を終えられるよう、県史編さん室一同がんばります。
(写真1)資料検討会の様子
(写真2)討議中の白石委員(右)と清水専門員(左)
県史編さん室
公文書館 2013/02/13
in 会議など,県史編さん室,調査
2013年2月7日
平成25年2月6日、前回に続いて米子市立山陰歴史館にて資料調査を行いました。
今回も兵事専門の岩佐委員と、どんな分野も詳しい田村委員のコンビです。田村委員の調査は今回で一通り終わりました。山陰歴史館資料調査の感想をうかがってみると…「郡役所関係の書類がよく残してあったのがよかった。これから詳しく調べていきたい」ということでした。
郡役所とは明治から大正にかけて県と市町村の間に置かれていた行政機関です。この郡役所資料には、当時郡の上に置かれていた県から出された文書がよく残されており、郡役所資料を調べると当時の県の政策がわかります。岩佐委員は、あと数回調査を行う必要があるということでした。
今回印象に残った資料を聞いてみると、「昭和20年の軍・機密関係書類と書かれた書類が出てきました。終戦の間際に作成されたもののようです。物資の乏しい時代ということもあって、紙の質が悪く印刷も薄くなかなか読めません。興味深い内容のようなので、なんとか時間をかけて読んでみたいです」ということでした。資料調査の進捗状況は、またこの活動日誌にて報告します。
協力して資料を解読している岩佐委員(左)と田村委員(右)
公文書館 2013/02/07
in 県史編さん室,調査