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2023年7月18日

わくわく北中-公文書館の職場体験-

 令和5年7月5日(水)から7日(金)までの3日間、鳥取市立北中学校2年生の榎さん、坂本さんがワクワク北中-職場体験学習-に取り組みました。
 新型コロナまん延防止のため、令和元年以来、3年ぶりの実施となりました。

窓口業務の写真1

窓口業務の写真2

 (1日目)初日は窓口業務やレファレンスを体験しました。電話も取ってもらいました。

綴り替え作業1

綴り替え作業2

 (1日目)古い簿冊のさびたホッチキスの針をとったり新しいひもで綴り直したり、とても丁寧に作業をしてくれ、きれいな簿冊に生まれ変わりました。これが永久に保存されます。

キャプション作成作業1

キャプション作成作業2

 (2日目)展示用のキャプションを作成し、展示室に貼りました。慣れないカッターナイフも上手に使っていました。

書庫作業1

書庫作業2

 (2日目)書庫の棚替えや引継簿冊の排架の力仕事も、疲れを見せることなくテキパキと作業をしてくれました。

県史作業1

県史作業2

 (3日目)古文書の文字を読んだり、掛け軸を初めて丸めてみました。また、江戸時代の鳥取藩の藩札の複製を作成しました。

公文書館前の写真

 緊張しつつも、3日間しっかり作業をしてくれました。
 おふたりとも公文書館にははじめて来られたそうですが、これを機に公文書館の展示を見に来てくださいね。

公文書館 2023/07/18 in 館見学,県史活用担当,公文書担当

2023年7月12日

「新鳥取県史を学ぶ講座『鳥取県の鉄道敷設運動-山陰線の開通-』(第2回)を開催しました。

 令和5年7月9日(日)、鳥取県立博物館講堂において、新鳥取県を学ぶ講座『鳥取県の鉄道敷設運動-山陰線の開通-』(第2回)を開催しました。講師は当館県史活用担当の石田敏紀が務めました。

 講演では、鳥取県の鉄道敷設運動の始まりから明治45(1912)年に山陰線が開通するまでの経緯について、鳥取県東部の人びとの活動を中心に解説しました。特に、明治21年の山陽鉄道「兵庫-明石」間の開業を受け、翌22年に県東・中・西部でそれぞれ兵庫県、岡山県と結ぶ私鉄建設を求める運動が始まり、その後、官設鉄道の敷設請願運動に転換するが、鉄道で県内を東西に結ぼうという意識が低かったこと、明治27年の陰陽連絡線「姫路-鳥取-境」間の敷設決定は県民の要望を考慮したものではなく、兵士の移送、知事のいる県庁所在地を重視して行われたことなどを当時の新聞記事や鉄道会議、帝国議会での議員や政府関係者の発言を用いて紹介しました。

 また、陰陽連絡線「姫路-鳥取-境」間の決定後も、鳥取県東部と兵庫県北部の人びとが連携して山陰線の敷設を請願したこと、明治39年に建設路線が山陰線「福知山-鳥取-今市(現、出雲市)」間に変更されると県東・中・西部でそれぞれ中国鉄道の津山まで結ぶ路線建設の請願運動が始まるなど、明治時代の鳥取県の人びとが自らの地域への鉄道敷設のために積極的に活動している姿を紹介しました。

 来場者からは「県の東西を鉄道で結ぼうとする意識が低かった理由は何か」、「山陰新幹線建設についてどのように考えるか」などの質問が出され、講座終了後も「若桜線の八鹿までの延伸を当時の人びとは可能と考えていたか」、「法勝寺電車など、大正期の県西部の私鉄建設について」などの質問をいただきました。来場者は15名でしたが、鉄道史に関心を持つ方が多かったようです。

 なお、第3回講座は、令和5年9月24日(日)午後2時から、米子市立図書館で開催します(定員60名〈要申込〉、申込先:米子市立山陰歴史館、申込受付開始:8月24日〈木〉午前9時30分)。第3回は、鳥取県西部の人びとの活動を中心に解説します。

東部開催写真
講演の様子

公文書館 2023/07/12 in 県史活用担当,講座などのイベント

2023年7月6日

「新鳥取県史を学ぶ講座『鳥取県の鉄道敷設運動-山陰線の開通-』(第1回)を開催しました。

 令和5年6月25日(日)、倉吉交流プラザ第1研修室において、新鳥取県史を学ぶ講座『鳥取県の鉄道敷設運動-山陰線の開通-』(第1回)を倉吉博物館と共同開催しました。講師は当館県史活用担当の石田敏紀が務め、明治時代の鳥取県中部の人びとの鉄道敷設に向けての活動を中心に解説しました。

 講演では、鳥取県中部の鉄道敷設運動は1889(明治22)年の「倉吉-津山」間を結ぶ私鉄建設運動に始まること、翌年に株価が暴落すると私鉄建設を断念し、1891年に山陰地方で最も早く官営鉄道の敷設を政府に請願したこと、陰陽連絡線「姫路-鳥取-境」間の建設が1906年に山陰線「福知山―今市(現、出雲市)」間に変更されると、直ちに陰陽連絡線「倉吉-津山」間(のちの倉吉線)の建設に向けて動き、1912年に「倉吉-上井」間を開業させたことなど、倉吉町を中心とする中部の人びとの鉄道敷設への積極的な取り組みを解説しました。

 また、こうした活動と矛盾する「住民が反対したから山陰線は倉吉町を通らなかった」という「伝説」が生まれた理由・背景については、負け惜しみだけではなく、1911年に倉吉線・倉吉駅(のちの打吹駅)の位置を巡る倉吉町内の人びとの対立〈倉吉停車場位置問題〉、1919(大正8)年以降の「由良-倉吉-上井(現、倉吉)」間を結ぶ路線を新設し、こちらを山陰本線としようとする倉吉町の人びとの主張と、上井、下北条での反対運動〈倉吉線本線化運動〉などの地域間の対立を、後の人が山陰線建設時の出来事と誤解したのではないかとの推論を紹介しました。

 開催後のアンケートでは、「当時の倉吉の人びとも鉄道の有効性をよく理解していたということを知ることが出来て良かった」「倉吉線の開業が伯備、因美線より早かったことが驚きでした」などの回答をいただき、参加された方々には郷土の歴史に関する関心を一層高めていただいたものと思います。

 なお、第2回講座を令和5年7月9日(日)午後2時から、鳥取県立博物館講堂で開催します(定員80名、申込不要、先着順)。次回は、鳥取県東部の人びとの活動を中心に解説します。

講演会写真
講演の様子

公文書館 2023/07/06 in 県史活用担当,講座などのイベント

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