【第17次調査の成果から】古代の土地造成
田んぼの耕作土を機械で取り除いた後の調査区には、主に弥生時代から古墳時代にかけての土器のかけらを大量に含んだ土が調査区一面に広がっていました。土器のかけらは細かく、とても元の形に復元できそうにはありません。古代(奈良時代頃)の土器も少し混じっているので、大量の土器を含んだこの土は、奈良時代以降、この場所に動かされたものと考えられます。
過去の調査でも、このように大量の土器を含んだ土が、弥生時代の集落中心部分に相当する微高地の範囲に広がっていたことが確認されています。したがって今回の調査区周辺では、奈良時代以降に大規模な土地造成が行われたと言えそうです。
また、今回の調査では、柱の根元が立ったままの状態で8本見つかっています。そのうちの3本は東西方向に一列に並んでおり、建物を構成する柱の一部である可能性があります。もしかしたら、軟弱な地盤に建物を建てるために土地造成が行われたのかもしれません。
青谷上寺地遺跡では、過去の調査で古代の幹線道路(古代山陰道)と土地区画(条里地割)の跡が見つかっています。古代の幹線道路沿いには役所や駅家などの重要な施設が設けられていた事例が多いため、今回の調査区周辺も古代には重要な場所であった可能性が高いと考えています。今回見つかった造成跡と建物、道路跡との関係について、今後慎重に検討を進めていきます。