【第17次調査の成果から】ガラス製作の痕跡
弥生時代、碧玉(へきぎょく)や緑色凝灰岩、翡翠(ひすい)といった緑色の美しい石や、透明な水晶、青いガラスで作られた玉類は、身分の高い人の首飾りや腕飾りとして使われた貴重なものでした。
これらの玉類は有力者のお墓から見つかることが多く、集落から見つかることはあまりありませんが、青谷上寺地遺跡からはこれまでの調査でたくさんの玉類が見つかっており、貴重品を豊富に持っていた豊かな集落であったことがうかがえます。
今回の第17次調査では、緑色凝灰岩製の管玉(くだたま)1点、水晶製の算盤玉(そろばんだま)2点のほか、ガラス玉も見つかりました。ガラス玉には勾玉(まがたま)1点、管玉1点、小玉16点に加えて「作りかけ」のものが見つかっています。
弥生時代の日本列島にはガラスを作る技術は無く、弥生人は中国大陸や朝鮮半島を経てもたらされたガラス製品を溶かして玉などに再加工していました。
今回見つかった「作りかけ」は、小さなガラスの破片どうしが熱で溶けてくっつき塊となったもので、ガラス製品を砕き、鋳型で熱して再加工する途中で何らかの事情により捨てられたものと考えられます。
直径約8ミリという小さな出土品ですが、この作りかけの発見によって、青谷上寺地遺跡でガラス玉の製作が行われていたことがわかりました。集落内でガラス玉を製作していたことがわかったのは山陰地方で初めてのことです。
さて、素材を高温で溶かし、鋳型に流し込む・・・という再加工の方法は、ガラス製作と青銅器製作とに共通する技術です。北部九州では青銅器製作の工房跡がみつかった遺跡から、ガラス製作に関係する鋳型などが見つかっており、青銅器とガラスの製作が近い場所で行われていたことがわかっています。
今回の発見により、青谷上寺地遺跡で青銅器の製作も行われていた可能性が浮かび上がってきました。今後の調査では、ガラスや青銅器の工房跡の発見が期待されます。
ガラス玉(左の2点は小玉、右の1点は作りかけもの)