平成24年10月29日から30日、 新鳥取県史編さん専門部会(民俗)では大山町宮内の高杉神社で4年に1度行われるうわなり神事を調査しました。
この神事の起こりは高杉神社に次のように伝わっています。
- 雄略天皇丙辰(476)年、近郷で次々と災難が起こった。
- 託宣(神のお告げ)によって、孝霊天皇(紀元前342年~紀元前215年:『古事記』『日本書紀』に記される第7代天皇)に仕えた2人の官女「松姫命」と「千代姫命」の霊魂が、本妻である「細姫命」に対して嫉妬していることが原因とわかった。
- 3人の姫の社をつくって祀り、祭日には神事を行ったところ、災難は治まり幸せに生活することが出来る様になった 。
「うわなり」とは後妻のことです。室町時代から江戸時代にかけて、後妻打ち(うわなりうち)という民間習俗がありました。夫が後妻をめとったとき、先妻が親しい女たちにたのみ、使者を送って予告のうえで後妻の家を襲い、家財などを打ち荒らすというものです(参照:小学館『日本国語大辞典』)。うわなり神事は、この習俗が神事化したものと思われます。調査に御協力いただいた、高杉神社、宮内地区の皆様に御礼申し上げます。
【前夜祭1】年番で選ばれた3人の打神(うちがみ)が高杉神社で前夜祭に参加します。
【前夜祭2】宮司がくじ引きをします。
それによって本殿(もとどの)、仲殿(なかどの)、末殿(あとどの)が決まります。
【潮垢離(しおこり)1】祭当日の早朝、3人は神社に集合します。
【潮垢離2】宮司による神事の後、3人は福尾海岸に向けて出発します。
【潮垢離3】福尾海岸に着くと、身体を清め、塩草(海藻)を拾い藁苞(わらつと)につめます。
【潮垢離4】福尾海岸に末殿の御幣を立てて帰途につきます。
【潮垢離5】藁苞と塩草の様子
【潮垢離6】仲殿は、帰る途中に仁王堂の北端に御幣を立てます。
【潮垢離7】本殿は、高杉神社に戻ってから本殿北側に御幣を立てます。
【潮垢離8】塩草が入った藁苞を奉納すると潮垢離は終了です。
【潮垢離9】塩草の様子
【うわなり神事1】深夜11時に神社に集まった打神3人。
神事の後、宮司が御供(神饌)の飯を茅の箸で一口づつ食べさせると
打神に本殿、仲殿、末殿の神霊が憑依(ひょうい)するといいます。これを入座式といいます。
【うわなり神事2】入座式が終わると打神3人、御幣を持った氏子が神社前の小川に行き、
打神は冷水で禊(みそぎ)をします。これを水垢離(みずこり)といいます。
【うわなり神事3】打神3人が禊をする小川。禊の様子は撮影禁止になっています。
【うわなり神事4】水垢離が終わると一度、神社に戻り打神3人は待機します。
【うわなり神事5】打神3人は、神社境内に4本の竹と注連縄で設けられた神事場(じんじば)へ神幸行列します。
ここで、投げ盃式、打ち杖渡し式、打ち杖の締め直し、打ち合い式、成就式が行われます。
【うわなり神事6】打ち合い式に使用される打ち杖。
長いものを本殿、中を仲殿、短いものを末殿が使用します。
打ち合いといっても殴り合う訳で無く、打ち杖を利き手でない方に持たせ、打ち杖を打ち合わせます。
同時に斎主が「本殿の勝ち」と大声を掛けて勝負をつけます。この様子は現在、撮影禁止です。
【うわなり神事7】最後に打神3人は、氏子たちに御供の飯を御幣の紙に載せて配ります。
これでうわなり神事は終了します。
県史編さん室