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「密蔵院文書」にみる基好上人と栄西

伯耆大山寺基好上人について

 中国地方最高峰である大山の山麓は、牛馬の放牧や蕎麦(そば)の栽培が盛んな地域です。かつて牛馬市が開かれた博労座(ばくろうざ)は現在も地名として残っており、また山麓で収穫された蕎麦粉を使った「大山そば」は鳥取県を代表する特産品の1つにもなっています。

 今から約850年前、この広大な大山の裾野を利用して牛馬の放牧や蕎麦の栽培を奨励したのが、大山寺僧の基好上人(きこうしょうにん)でした。生没年等は不明ですが、大山寺に残る1173(承安3)年頃の鉄製厨子銘文の中に「遍照金剛基好」とみえることから(注1)、この頃には大山寺の高僧としての地位にあったと考えられます。

 
大山寺阿弥陀堂の正面右側にある基好上人の墓の写真
大山寺阿弥陀堂の正面右側にある基好上人の墓

基好上人と栄西

 この基好上人の弟子の1人に臨済宗の祖といわれる栄西(えいさい)がいます。栄西は1141(永治1)年に岡山県の吉備津神社の社家に生まれ、はじめは比叡山で修行していましたが、22歳のときに下山して郷里の安養寺で灌頂(かんじょう)(注2)を受け、その後、伯耆の大山に登って基好上人のもとで天台密教を学び、その奥義を極めたと言われています。そして、1168(仁安3)年に中国へ渡って臨済禅を学び、帰国後は禅の布教に努めました。その後、臨済宗は武士たちのあつい信仰を受け、全国的に広がっていきました。

「密蔵院文書」の記述から

 愛知県春日井市の密蔵院には、基好上人と栄西に関する内容を含む史料が残されています。その一部を紹介してみたいと思います。 

(前略)寛治元年十月十九日、同門(多武峰)僧暹宴に授与す。(中略)保延六年三月八日、平等院において伯耆国大山住僧基好に授与す。基好また嘉応二年三月二十七日に雲州清水寺において新入唐巡礼弟子栄西に授与す。栄西また元久元年六月一日、筑前博多聖福寺において厳琳に授与す(以下略)

(「密蔵院文書」天正4年9月20日実尊不動許可)(注3)

 密蔵院は鎌倉時代末期に慈妙(じみょう)上人によって創建された尾張地方の天台宗の中心寺院です。この史料は、同寺に伝わる中世文書の1つで、1576(天正4)年に密蔵院の高僧である実尊が弟子の憲盛に与えたものです。

 この記述によれば、基好上人は1140(保延6)年3月8日に京都の平等院で多武峰(とうのみね:奈良県桜井市)の僧である暹宴(せんえん)から密教の奥義を授かったとあります。また、基好上人が大山で修行を積んだ栄西に奥義を授与したのは1170(嘉応2)年3月27日のことであり、その場所は出雲の清水寺(現島根県安来市)であったと記されています。

 栄西が中国に渡ったのは1168(仁安3)年であると言われているため、1170年に基好上人が栄西に奥義を伝授したとするこの内容が正しいかどうかについては、十分な検討がなされなければなりません。ただ、基好上人と栄西の伝授に関して、具体的な時期や場所が記載されている史料はほとんどなく、興味深い史料といえるでしょう。

むすびにかえて

 鳥取県の中世史はまだまだ未解明の部分が多くあります。しかし、全国の都道府県史や史料集を丹念に調べていると、意外なところで鳥取に関係する史料に出会うことがあります。個々の史料に含まれるわずかな情報も大切にしながら、県史の空白部分を少しずつ埋めていきたいと思います。

(注1)『鳥取県史1 原始古代』896頁。

(注2)密教において、阿闍梨(あじゃり:師匠)が弟子の頭に水を注ぎ、正式な継承者であることを証する儀式。

(注3)『愛知県史 史料編11 織豊1』633頁

(参考文献)

『大山寺の名僧』(角磐山大山寺 2007)

『大山雑考』(沼田頼輔著 稲葉書房 1961)

『鳥取県史2 中世』(鳥取県 1973)

『改訂増補 国史大系』巻31巻(吉川弘文館 1965)。


追記:「密蔵院文書」の写真版の閲覧にあたっては、愛知県史編さん室の皆様にご配慮を賜りました。ここに厚く御礼申し上げます。

(岡村吉彦)

最近の活動から:円通寺所蔵の中世史料を調査

 2010(平成22)年6月23日、古代中世部会では、円通寺と豊岡市教育委員会の協力を得て円通寺(兵庫県豊岡市竹野町須谷)所蔵の鳥取関係中世史料の調査を実施しました。

 円通寺は臨済宗南禅寺派の寺院であり、山名時義が康応元年(1389)に月庵宗光を開山として創建したとされ、かつては2院と36の塔頭、14の末寺を有していました。中世から近代の文書を多数所蔵しており、このうち中世史料は15点(原文書2点、写文書13点)になります。

円通寺本堂の写真
円通寺本堂
円通寺での中世史料調査の様子の写真
円通寺での中世史料調査の様子

 一つ一つの文書にはさまざま情報が含まれています。今回調査した写文書の中には、「慶應4(1868)年6月に書き写した」という追記があるものもありました。また同じ文書の原本と写しを比較したところ、原本に忠実に写しが作成されていることが知られ、この文書群の写文書が内容的に信頼性の高いものであることがわかります。

 新鳥取県史県史編さん事業では正確な情報の記録化のために、今回のような原本調査を可能な限り実施しています。

活動日誌:2010(平成22)年5月

1日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
2日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
7日
遺物返却及び借用(鳥取市用瀬郷土歴史館、湯村)。
13日
民具調査(湯梨浜町泊歴史民俗資料館、樫村)。
16日
新鳥取県史巡回講座(米子コンベンションセンター、坂本・岡村)。
20日
民俗民具調査協議(湯梨浜町教育委員会、樫村)。
21日
民俗(両墓制)調査協議(大山町教育委員会、樫村)。
23日
新鳥取県史巡回講座(鳥取県立図書館、坂本・岡村)。
24日
文化財担当者会議(湯梨浜町中央公民館、湯村)。
27日
民具調査(鳥取県立二十世紀梨記念館、樫村)。
28日
遺物整理に関する協議(鳥取大学、湯村)。

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編集後記

 「県史だより」は第50回を迎えました。2006(平成18)年4月以降、毎月更新し、4年2ヶ月が経過したことになります。県史編さん室一同、次の節目100号(2014〈平成26年8月頃)を目指してがんばります。今回の「最近の活動から」は古代中世部会の調査活動を報告させていただきました。調査活動は活発に行われていますが、報告がしばらく少なかったと反省しております。改めて調査活動についてよりこまめに報告していきたいと思っています。

(樫村)

  

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