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ある元行商人からの聞き取り

 民俗部会では『新鳥取県史 民俗編』の編さんのために、交通交易分野の調査をしています。なかでも重視しているのは行商人についてです。かつて鳥取県内には多くの行商人がおり、鳥取県東部地区を中心とする行商人組合である鳥取昭和会だけでも1957(昭和32)年には会員が655人いたようです(注)。東部地区にも鳥取昭和会に所属しない人もおり、県中西部にも行商人は大勢いたようです。

 このようにかつては大勢いた行商人ですが、現在ではあまり目にすることはありません。『民俗編』のための民俗調査では、当初から行商人をしている方、かつて行商人をされていた方から聞き取り調査をするために話者になっていただける方を探していましたが、なかなかいい出会いがありませんでした。

 しかし湯梨浜町泊歴史民俗資料館所蔵の民具調査を実施した際、調査協力員になっていただいた方々が、行商人をされていた方を紹介してくださり、現在調査をしています。今回は、その調査で出会った一人の女性行商人を紹介します。

泊の元行商人Aさん

 Aさんは、大正末期、現在の倉吉市東部に生まれ、戦後すぐ泊村(現在の湯梨浜町泊)の漁師と結婚しました。夫は親族の船に乗って漁をして資金をつくり、やがて小さい船を買って自立しました。しかし小さい船の漁では収入も限られ、生活は苦しいものだったといいます。

行商を始めた頃

 Aさんは昭和30年に商売(行商)をはじめることを決断します。ちょうど2人目の子ども産んで家族が増えた直後のことです。理由はただお金が必要だったからといいます。はじめて商売に出かけたのは忘れもしない3月16日のことでした。その日、上井(あげい)の市場(現倉吉駅付近にあった)でヒメアジを1箱仕入れて売りに行ったが、あまり売れず疲れはて、家に帰るとすぐに布団を敷いて寝てしまったことを覚えているそうです。

行商カンカンの写真
泊の行商人が使用したカンカン。
斤量の写真
泊の行商人が使用した斤量(きんりょう)。
カンカンと斤量を購入し、仕入れなどに使用するわずかな資金があればすぐ商売を始められるため、
行商人になる女性が多かったといいます。

 行商人をやっていくには、定期的に商品を購入してくれるお得意を見つける必要があります。Aさんは最初の10年間くらいは、土地勘のある実家の近くの農村部で商売しました。はじめの頃は、なかなか買ってもらうことが出来ませんでしたが、だんだん買ってもらえるようになりました。しかし後に実家の両親が娘のために手土産を持って周囲に買ってくれるようお願いをしてまわったことで売れるようになったことがわかりました。苦労する娘を案ずる親心を察することができます。

 行商を始めた頃、農村部では売れるようになっても即金ではなく掛け売りで、支払いも現金ではなく米が多く、結局代金を踏み倒される掛け倒しも結構あり、大変苦労されたそうです。

泊の行商人が使用した前掛けの写真
泊の行商人が使用した前掛け。
大切なお金を入れるために、チャック付きのポケットを付けている。

農村部から都市部へ

 Aさんは農村部を10年くらい歩いた後、販売先を倉吉市街に変えます。人が多い都市部の方が効率いいと判断したからです。仕入れをする倉吉市街の市場近くの知り合いにリアカーを置かしてもらい、それを引いて倉吉市内を歩くようになりました。行商カンカンを2段3段にして担いでまわるより効率よく体も楽になったそうです。倉吉市内では約25年間商売しました。

 その頃のAさんの1日は、次のようなものでした。

 午前3時半に起床し泊の市場で仕入れ、5時の始発列車に乗車し、倉吉の市場で仕入れ後市内で販売し、午後2時頃帰宅します。時にはそれから泊の市場でまた仕入れをしてもう一度倉吉に売りに行くこともあったそうです。特別な休みはなく、ライバルの行商人が行かないとき、たとえば雨や雪の日の方がよく商品が売れるのであえて天候が悪いときに出かけたといいます。

「得意さん」の獲得

 いつも商品を買ってくれるお得意の人を「得意さん」と呼んだそうです。この得意さんが多いか少ないかが商売を左右しますが、得意さんの獲得には大変苦労しました。先輩行商人で商売が上手な人や、引退する人で得意を譲ってくれる人もいましたが、皆生活がかかっているので逆に得意を奪う人もいたそうです。

 得意さんの中には、本当に親しくなる人もいて留守でもいつも決まったところにお金を置いてくれてそこから代金を受け取り、その家の台所で魚をさばいて下ごしらえしてすぐ食べられるようにして冷蔵庫に入れてくることもあったそうです。

 そのような得意さんとの関係は楽しいもので、得意さんが亡くなったときに葬式にも参列したそうです。

人の中の歴史

 聞き取り調査は、その人の人生における社会との関わりや価値観に触れることになります。聞き手(調査者)が理解しやすいよう、家族構成や年齢など極めて個人的情報もお話いただくことがほとんどです。Aさんについても極めて個人的なこともお聞きしましたが、今回は当然ながらAさんにご迷惑にならない範囲での記述です。

 しかしAさんのこれまで人生は、苦労と努力の積み重ねであったことは、ほんの一部の聞き取り内容の紹介でも理解できると思います。戦後すぐ厳しい社会情勢の中結婚し、なかなか収入が安定しない漁師の家庭を苦労しながらも行商で支え、3人の子どもを自立させました。小さい我が子が母親を求め、かわいそうでも人に預けて行商に行かねばならない辛さも思い出されていました。

 こうした人生の積み重ねが民俗を形成する訳ですが、県全体の民俗を一冊にする『新鳥取県史民俗編』にどのように反映させるかは、なかなか難しい問題です。民俗部会の委員とともに協力者の誠意に答えられる『民俗編』にしたいと思います。

(注)『国境を越える行商人-因美線の魚介類行商人-』鳥取女子高等学校商業研究班、1994)。

(樫村賢二)

活動日誌:2012(平成24)年2月

2日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、渡邉)。
3日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、渡邉)。
4日
資料(衣食分野)調査(鳥取市賀露地区公民館、樫村)。
5日
資料(衣食分野)調査(倉吉博物館、樫村)。
6日
資料調査(米子市立山陰歴史館、岡)。
資料(衣食分野)調査及び民俗編衣食分野担当者会議(米子市立山陰歴史館、樫村)。
7日
遺物借用(県立博物館、湯村)。
8日
県史編さん協力員(古文書解読)に関する協議(県立博物館、渡邉)。
遺物借用(県立博物館、湯村)。
12日
鳥取県史ブックレット11、12刊行。
旧多里村役場資料調査(~14日、県立公文書館会議室、清水・岡)。
15日
遺物返却(県立博物館、湯村)。
20日
旧多里村役場資料調査(県立公文書館閲覧室、清水・岡)。
21日
資料(高木啓太郎写真)調査(倉吉博物館、樫村)。
25日
旧多里村役場資料調査(県立公文書館会議室、清水・岡)。
26日
出前講座(岩美町立岩美中学校、清水)。
27日
民俗部会に関する協議(米子市、樫村)。
28日
資料借用準備(鳥取県教育文化財団美和調査事務所、湯村)。

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編集後記

 今年は桜の開花も早く、県史編さん室の窓から見える鳥取城址の桜もすでに満開となりました。春は別れと出会いの季節です。県史編さん室はこの1年間近代担当、そしてホームページ担当として活発に活動してきた岡主事が公文書館公文書担当に館内異動となり、約7年間、古文書整理員として共に事業を進めてきた足田非常勤も別部署に移られました。2名の新しい職場での活躍を期待しています。そして県史編さん室は3名の新しい職員を迎え新体制でスタートしました。新しいメンバーについては、次回紹介したいと思いますので、御期待ください。

(樫村)

  

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