はじめに
県史編さん事業においては鳥取市気高町睦逢(むつお)の溜池である大堤で「大堤うぐい突き保存会」によって行われている「ウグイ突き」と呼ばれる漁について調査しています。
大堤周辺地図
(写真1)気高町大堤池で使用されるウグイ
「ウグイ」とはいわゆる魚伏籠(うおふせかご)のことです(写真1)。魚伏籠は底のない筒状の籠で、これで水田や浅瀬の泥を突きながら魚を探し、籠に入った魚を上の口から手でつかみ捕らえます(写真2)。東南アジアでは現在も行われており、かつては日本各地に見られましたが、今日、組織として漁はほとんど途絶えており、大変貴重な習俗といえます。
(写真2)ウグイ突きの様子(平成26年10月5日撮影)
ウグイ突きの歴史
ウグイ突きについて地元では、400年以上の歴史があり、この地域の領主だった亀井茲矩(これのり)(1557~1612年)が朱印船貿易を通じてシャム(現在のタイ国)から伝えたとされています。
また水の便の悪かった逢坂谷(現鳥取市気高町山宮・睦逢・会下周辺)に水路を通して大堤をはじめとした溜池をつくり、新田開発を行ったのも亀井氏であり、地域に貢献した偉人として現在も尊敬を集めています。
このウグイ突きに関して亀井氏がシャムから導入したかどうかは、確たる資料がなく現在のところ立証することができません。しかしウグイ突き(魚伏籠漁)は、因幡において室町時代まで遡ることができそうです。
それは天文12(1543)年の山名氏から溝口村(現在の鳥取市湖山北一丁目)に出された因幡守護山名氏奉行人連署奉書という文書(注1) に「籠伏」というものが見られるからです。これによると溝口村が合戦の時に、山名氏のために比類なき働きをしたことを賞したもので、褒美の一つとして河の特定場所での「籠伏」の権利が認められています(注2) 。この「籠伏」とは魚伏籠漁のことでしょう。
ウグイ突きは漁撈習俗か
ウグイ突きは、稲刈りの季節に溜池の水を抜いた際に繁殖させたコイやフナを捕獲しますが、単なる漁撈習俗ではありません。これを調査した松田睦彦氏(注3) によると、その目的は以下の4つがあるといいます(注4) 。
- 稲刈りがしやすいよう溜池の水を抜いて、周囲の田を乾燥させる。水田を乾かすことは裏作のムギを播くためにも必要であった。
- 人が溜池に入り、ウグイを突くことによって、底に溜まった泥を水中に舞上げ、排水と同時に除去すること。清掃と浚渫(しゅんせつ)の効果が期待された。
- 泥を含んだ栄養価の高い排水を、溜池より下流の水田に流し込む。泥は水田に沈殿し、作物の生育を助けることになる。
- ウグイ突き自体を楽しみ、食料として魚を得る。参加者にとってウグイ突きは年に一度の楽しみであったと同時に、タンパク源確保の機会であった。
また、このような生業の状況を安室知氏(注5) は次のように述べています。
ほぼ完全な用水管理を成し遂げた乾田地帯においては、溜池や用水路のような水田用水系を舞台に、稲作工程のなかに位置づけられた水利作業の一環として、魚籠伏漁はおこなわれるようになっていった。それは、生計活動が稲作へ特化していったこと対応するもので、魚伏籠漁も稲作の論理体系に内部化されたことを意味している(注6)。
この論理からすると、農耕活動が主体、ウグイ突きという漁業活動がその一部となり、それが用水管理や作業に楽しみを付加するなど重要な役割を果たしていることになります。
複合生業の視点
民俗学においては調査の際、農村、漁村、山村など農業、漁業、畑作と狩猟、林業など主となる生業を基準にムラを分類し、調査研究することが多い状況にあります。しかし稲作といってもこのウグイ突きのような漁業と組み合わさった活動や、鳥取県西部の中海における、漁船を使ってのモバ(海藻肥料)を採取活動など(注7) 、単一ではなく、いくつかのあるいは多数の生業を組み合って構成される生業形態は多く、農具の漁具としての流用や相互利用も見られます。このような複合生業論の視点で民俗学研究を行っているのが安室氏や松田氏です。この複合生業的な視点を取り入れると、自然環境と上手く駆け引きをしている人々の暮らしが見えてきます。
ウグイ突きのように年間1日だけの漁撈習俗であり、なおかつ溜池や水路の維持管理や土壌管理にも関係した稲作習俗でもある行為は複合生業的な行為ですが、それを直接表現する言葉を私は不勉強もあり思い浮かびません。しかしながら今後、このような視点からも記録化や文化財指定などが行われていくことになるでしょう。
モノから見た複合生業
ウグイ突きについてはそれに使用する道具類の調査も実施しています。松田氏が指摘するようにウグイ自体が俵編み台(写真3)で製作され、水が抜かれた溜池で豆をすくったり種籾を選別したりするソウケ(写真4)をエビや小さな魚を捕獲する農具の転用が見られます。
(写真3)俵編み台
(写真4)ソウケ
またダイコンカゴと呼ばれる大きなカゴは、ウグイで捕獲したコイやフナをしばらく家の前の用水路で生かしておくために使用されました。このダイコンカゴは気高町逢坂谷でかつてタバコ栽培が盛んだったときに、その裏作にダイコンを作りその収穫運搬用だったといいます。
このように道具(民具)調査からも複合的な生業と暮らしが見えてきます。
(写真5)コイなどの生け簀として使用されたダイコンカゴ
おわりに
人々の暮らしは、さまざまな行為がお互い関係しながら成り立っています。例えば農家といっても完全に農業だけで家族を養っていることはほとんどなく、農作物の害獣駆除と家族用のタンパク質確保のために、猟をして鳥獣をとったり、農業用水で小魚をとったりすることは一般的でした。このような複合的な生業のあり方こそ自然なのですが、研究者が勝手な分類やレッテルを貼ってきたことを見直さなければならない部分がありそうです。
(注1)『鳥取県史 第2巻 中世』(1973年、鳥取県、743頁)
(注2)錦織勤「因幡国布施・溝口の中世―湖山『潟』の発見」『鳥取地域史研究』12号 (2010年、鳥取地域史研究会、3 ~17頁)
(注3)国立歴史博物館助教
(注4)松田睦彦「溜池での漁に見る水田稲作の論理―鳥取市気高町大堤『ウグイ突き』の事例から―」『民具マンスリー』45-7(2012年、神奈川大学日本常民文化研究所)
(注5)神奈川大学教授、元国立歴史博物館教授。
(注6)安室知「魚伏籠と水田漁撈」『国立歴史博物館研究報告』108(2003、国立歴史博物館、399~400頁)
(注7)樫村賢二『鳥取県史ブックレット9 里海と弓浜半島の暮らし―中海における肥料藻と採集用具―』(2011、鳥取県)
(樫村賢二)
1日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、渡邉)。
7日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(鳥取県立博物館、渡邉)。
現代部会資料検討会(公文書館会議室)。
9日
史料調査(大安興寺、岡村・渡邉・青目)。
10日
資料編にかかる協議(~11日、公文書館会議室、岡村)。
12日
民具調査(三朝町、樫村)。
13日
鳥取東高キャリア教育講師(鳥取東高校、岡村)。
17日
遺物借用(鳥取県立博物館、湯村)。
18日
銅鐸計測の協議(湯梨浜町教育委員会、湯村)。
執筆契約の協議(智頭町教育委員会、湯村)。
19日
銅鐸計測の協議(琴浦町教育委員会、湯村)。
執筆契約の協議(北栄町教育委員会、湯村)。
21日
民俗・民具調査(鳥取市三津、樫村)。
22日
民俗・民具調査(鳥取市三津・気高町、樫村)。
23日
民具調査(賀露公民館郷土資料室、樫村)。
24日
銅鐸計測の協議(辰馬考古資料館、湯村)。
民俗・民具調査(鳥取市気高町、樫村)。
25日
銅鐸計測の協議(京都国立博物館、岡村・湯村)。
銅鐸等の共同研究の協議(奈良文化財研究所、岡村・湯村)。
26日
「資料編」掲載口絵写真の撮影(相国寺光源院、岡村)。
28日
民具調査(千歯扱き)(会津民俗館、樫村)。
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