県史編さん室では、平成19年度は日吉津村教育委員会との共催事業として、日吉津村民俗資料館所蔵の民具を調査しました。日吉津村民俗資料館は、地元有志が昭和52年6月頃から民具の収集を開始して、その民具を基礎として昭和55年11月1日に開館した施設です。今回の調査の目的は、所蔵資料の全体像を明らかにすると共に、特に、この地域の特色である「綿栽培」と「低湿地の農業」の用具の調査にありました。調査は14名の民具調査協力員(ボランティア)の協力もあり、全資料の台帳が完成し、資料館内に保管される資料が、総点数1,330点であることが確認できました。
今回の調査の課題であった綿栽培に関する民具は14点の資料が確認できました。数は多いとはいえませんが、「綿まき鍬(わたまきぐわ)」、「綿かご」、綿用の人力犂「溝きり」、砂地での耕作においてもっとも重労働であった作物への水やりの象徴的な道具「水汲桶」など、砂地を利用した産業の先駆けであった綿栽培の貴重な資料です。これらについては、重点的に調査し、実測図を作成しました。
日吉津村民俗資料館所蔵「綿まき鍬」の実測図
また、低湿地における農業に関する民具は3点(田ぶね2点、足踏み車1点)の資料が確認できました。資料の数が少ないため、これについては聞き取り調査に重点をおき、低湿地における農業の様子の記録化しました。
日吉津の綿栽培用具
江戸末期につくられた大蔵永常の『綿圃要務』 (注1)は、その当時綿作の先進地であった畿内、山陽の優れた技術、用具を紹介した書物です。この『綿圃要務』の図に見られる「水汲桶」、「小からすき」(日吉津では「溝きり」と呼ぶ)などの農具は、ほとんど同じ姿のものを日吉津村民俗資料館でも確認することができました。恐らくは畿内、山陽の綿栽培と日吉津をはじめ伯耆地方で行われていた綿栽培がまったく異なるということはないでしょう。
『綿圃要務』にある綿栽培用具の図(『日本農書全集15』365頁から引用)
しかし細かく見ていくと微妙な違いも見ることができます。日吉津村民俗資料館に3点所蔵される「綿まき鍬」は『綿圃要務』、綿栽培用具のコレクションをもつ奈良県立民俗博物館の図録(注2) にも確認することができません。「綿まき鍬」は畑に歯をさして引き、それでできた2本の溝に綿の種を撒くときに使用します。
日吉津の「綿まき鍬」
『綿圃要務』では、綿の種を「筋を切置たるに、片よりなくはらりとまき」(注3)とあり、挿絵によると「筋切(すじきり)」と呼ばれる道具で種を撒く筋をつけていたようです。
「筋切」(『日本農書全集15』364頁から引用)
「筋切」による綿の播種風景(『日本農書全集15』359頁から引用)
「筋切」は刃先が鋭く、粘りのある土でも筋をつけられると思いますが、日吉津に残る「綿まき鍬」の刃先は幅があり平らで砂地であれば筋がつけられそうですが、粘りがある土壌では使いにくいと思われます。日吉津には「筋切」は見当たらず、「綿まき鍬」のみが見られることは、砂地であるという地域に対応した道具である可能性があります。
また『綿圃要務』や奈良県立民俗博物館の綿栽培用具を掲載した図録(注4)には「穴つき」と呼ばれる綿畑に油粕・干鰯などを施すときに、それらを入れる穴を綿の木の間にあけるときに使用する農具が掲載されていますが、日吉津村民俗資料館には所蔵がなく、綿栽培の経験者に聞き取りしても、そのような道具を使ったり、見たりはしたことはないとのことでした。
「穴つき」(『日本農書全集15』365頁から引用)
「穴つき」による施肥風景(『日本農書全集15』380頁から引用)
伯耆地方は畿内、山陽とは異なり綿の肥料として中海、隠岐の安価な藻葉を中心に使用していましたが、藻葉の場合は干鰯や油粕とは施肥の方法が異なるため「穴つき」を使用しなかった可能性があります。
以前、米子で「鍬半里」という古い諺を教えていただいたことがあります。「鍬は半里、場所が異なればその形態が異なる」の意味で、半里(約2キロメートル)離れれば土壌の性質も異なり、頻繁に使い重要な鍬だからこそ工夫され形態も変わるということです。そうすれば畿内、山陽の綿栽培と伯耆地方の綿栽培の農具が異なることは当然であり、そこには自然環境、文化が強く反映しているもの思われます。
しかしながら、これは日吉津村内の調査のみで浮かび上がってきた問題であり、弓浜半島のほかの地域、また弓浜半島同様に綿作地帯であった東伯耆での綿作用具がどのようなものかは全くわかっていません。「綿まき鍬」と「穴つき」、またはそれに類似した道具を持っているなどの情報がある方は、ぜひ県史編さん室に連絡いただければと思います。
(注1)『綿圃要務』は天保5(1834)年刊行。山田龍雄他編『日本農書全集15』1977年、社団法人 農山漁村文化協会所収。
(注2)奈良県立民俗博物館編『平成一五年度特別展 大和もめん』2003年、奈良県立民俗博物館。
(注3)『日本農書全集15』360頁。
(注4)(注2)に同じ。
(樫村賢二)
1日
辞令交付。県史編さん室、総務課から公文書館に移管。
5日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
6日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
8日
民俗調査(鳥取市用瀬町、樫村)。
9日
とっとり政策総合研究センター「水曜サロン」講師(鳥取市、岡村)。
10日
11日
民俗調査打合せ(岩美町役場、樫村)。
12日
民俗調査(鳥取市鹿野町、樫村)。
17日
民俗調査(鳥取市佐治町、樫村)。
23日
義勇軍聞き取り調査(境港市、西村)。
24日
民具調査(鳥取市佐治歴史民俗資料館、樫村)。
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