青谷かみじちフェスタの余韻も冷めやらぬ11月26日(土)に、山陰海岸ジオパーク海と大地の自然館と合同で、第4回目となるとっとり弥生の王国土曜講座「山陰海岸ジオハイキング」を行いました。(第4回土曜講座資料) (pdf:1294KB)
コースは青谷町総合支所をスタートして、旧伯耆街道を歩き、勝部川沿いを南下。現在工事中の青谷かみじち史跡公園を見学し、日置川沿いをたどるというものです(資料・PDF)。河口付近には、江戸時代(17・18世紀)に鳥取藩の蔵が置かれ、港町として栄えていた痕跡が残っており、さかのぼって江戸時代初期には亀井玆矩の朱印船貿易の窓口であったと考えられています。弥生時代には、中国大陸や朝鮮半島などと交易のあった青谷上寺地遺跡も港湾集落と考えられ、青谷の地は長い間、港に適した自然環境のおかげで栄えた地域であったことが分かります。
さらに勝部川を南へ下り、鉢伏山(はちぶせやま)板状安山岩の露頭を見学しました。
この安山岩は板状に割れることが特徴で、この石を使ったと考えられる古墳時代後期
(6・7世紀)の横穴式石室が旧気高郡や倉吉市周辺に集中することが知られています。
露頭のある後背の丘陵にも同様の横穴式石室がみられる吉川古墳群が分布しています。
また最近の研究では、青谷上寺地遺跡をはじめとした因幡地方の遺跡からこの板状安山岩
でつくられたとされる石器が出土しており、注目されます。
この他にも勝部川や日置川の旧河道の痕跡や興宗寺にある遠来の石材でつくられた石像などを見学し、参加いただいた17名の方には、青谷における自然環境と街並みや、遺跡に残る人間活動との関係について、現地を歩きながら実感していただきました。今回は勝部川周辺を歩きましたが、今後も青谷町の様々な場所でこうしたウオーキングを企画したいと思います。
旧伯耆街道の古い町並み
港があった河口付近を望む
十二羅漢石像(興宗寺)の石材は来待石?
鉢伏山板状安山岩の露頭
青谷かみじち史跡公園(工事中)の見学