1月28日(土)に開催した第5回土曜講座ですが、特に対談では人骨の謎をめぐって大いに盛り上がりました。今回聴講された方からいただいた御質問に対する回答を掲載します。
質問1 人骨に解体痕はあったのでしょうか?
【回答】
骨に残っている傷は、大きく2つに分かれます。戦いなどによって生前に受けた殺傷痕と死体の四肢などを切り離す際に残る解体痕の2つです。傷が残っている部位や傷の形状などから判断します。
青谷上寺地遺跡の第1次発掘調査で出土した人骨のうちの110点には、刺し傷や切り傷などの殺傷痕が認められています。また解体痕の可能性のある傷痕もあり、今後さらに検討していきたいと考えています。
質問2 人骨群と共に祭祀用と思われる盾が出土していることから、これらと一緒に出土した高杯(たかつき)などの容器類も祭祀に使ったものとは考えられませんか?
【回答】
人骨群と一緒に出土した、花弁文様を浮き彫りにした花弁高杯(かべんたかつき)などは祭祀に用いられた可能性もありますが、共に出土した土器や木器には、日常生活で使われたと思われるものも多数含まれていますので、そうした容器類を祭祀用と考えることは難しいと思われます。
花弁高杯復元図
質問3 散乱した人骨群の出土状況は、古墳の石室に丁寧に埋葬するようになる以前の、過渡期のような段階の埋葬形態と考えられませんか?
【回答】
弥生時代の一般的な埋葬方法は、地面に穴を掘り、木や石、土器を用いた棺に遺体を納める、または穴に直接遺体を埋めるもので、古墳時代以前から既に丁寧な埋葬を行っています。青谷上寺地遺跡の散乱して出土した人骨は、当時の一般的な埋葬方法とは異なる、極めて異例なものです。埋葬されたものかどうかも議論が分かれますので、青谷上寺地遺跡の例を過渡期のものと評価するのは難しいと考えます。
質問4 多数の人骨の出土は、何らかの疫病が流行ったことを示しているのではないでしょうか?再生を願って埋葬されたというより、病気の蔓延を防ぐという意味合いでの埋葬では?と思います。
【回答】
人骨の中には、結核に感染した結果、背骨が曲がってしまう脊椎カリエスという症例が確認できるものがあります。当時の青谷上寺地遺跡に結核の感染者がいたことは確かですが、結核がどの程度流行っていたかまでは、今のところ分かっていません。
脊椎カリエスの症例を示す背骨
質問5 人骨に刺さっている銅鏃はどこの地域の人が使っていたものか、またその銅はどこで産出されたものか分かりますか?
【回答】
人骨に刺さっていた銅鏃は、「有茎柳葉式(ゆうけいやなぎばしき)」と呼ばれるもので、この形の銅鏃は東海地方の遺跡から多く出土しています。しかし、銅鏃は当時流通していた可能性があり、生産者と使用者が異なっていたと思われるため使用者を特定するのは困難と言えます。また、弥生時代に日本国内での銅の原料の調達は確認されておらず、中国・朝鮮半島由来の原料や既存の青銅器を鋳つぶして、銅鏃などを作っていたと思われます。
腰骨に刺さった銅鏃