知事の手元に残された手紙
現代部会では先頃、国立国会図書館憲政資料室が所蔵する第30代鳥取県知事「副見喬雄(ふくみ たかお)関係文書」の調査を行いました。副見は1895年岐阜県生まれ。東京帝国大学法学部を卒業後、内務省に入省。1939(昭和14)年1月11日から翌40(昭和15)年12月2日までの2年弱にわたって鳥取県知事を務めました。
調査にあたり前もって憲政資料室のホームページで関係資料の概要を確認したところ、点数は89点。「書簡は37名から60通で鳥取県知事、台湾総督府交通総局長の時期のもの」、「書類には、『英国における警察規則について』などの副見自筆の原稿や『記録』『雑記』と名づけられた記録帳(1941~47)がある。『雑記』には、事務日誌、交通量の数値や会議メモ等の記載がある」とありました。
『鳥取県史』は副見が知事を務めた昭和14,5年頃の状況を「県政は全く戦争対策、国政委任事務の執行機関と化し」、他方、工業教育振興のため境中学校・智頭農林学校の新設、鳥取・米子両工業学校の整備・拡充が行われたと述べます(『鳥取県史』近代第5巻政治篇、p.491)。今回の調査に期待したことは、泥沼化する日中戦争を背景に、知事副見がどのような県政運営を行ったかをうかがい知る資料との出会いでした。
しかし、実際に憲政資料室に赴き関係書類を見てみると、「記録」類には鳥取県知事時代のものはありませんでした。また「書簡」は副見が書いたものではなく、すべて彼が受け取ったものでした。考えてみれば、副見発の書簡が彼の手元に残ることはありません。実は憲政資料室のホームページに、そのことはちゃんと書いてあったのですが、行ってみるまで気づきませんでした。(憲政資料室ホームページ「3 憲政資料をさまざまな角度から探すには?/書簡を探す」)
県人からの手紙 西尾寿造
当初の目的は果たせませんでしたが、差出人の中には鳥取県関係者からの書簡も多数含まれていました。その中に、当時支那派遣軍総司官として南京にいた鳥取県出身の陸軍大将西尾寿造(にしお としぞう)が、昭和15年9月12日に副見に送った書簡がありました。
西尾はそのなかで、重慶の国民政府軍の攻略が困難に陥っているが、その理由は「重慶側依存第三国」の情勢に左右されることが極めて多いからである。この状況を打破するには「最悪之場合を目標として国家の総力適時綜合発揮し得るの態勢を整へ」るとともに、「困苦を克服し真に長期に亘(わた)り戦ひつつ、速ニ国力を充実する事第一義」と述べ、長期戦を視野に入れて国家総動員体制の充実を期待し、近衛内閣が主導した新体制が「敏活堅実ニ実行」されること切望しました。日中戦争終結への展望を見出せないなかで、「最悪の場合に備えて」国力の充実に努めるべきであると、郷里の知事に書き送ったのでした。
おわりに
西尾以外の鳥取県に関係のある書簡としては、堤三樹男(つつみ みきお、松江歩兵63連隊長)、小川全勝(おがわ ぜんしょう、松江連隊区司令官)、山口季信(傷痍軍人)ら軍人からの慰問礼状など。小早川秋声(こばやかわ しゅうせい、日本画家)、中島菜刀(なかしま さいとう、日本画家)、野村愛正(のむら あいせい、小説家)ら芸術家からの、鳥取での個展開催支援依頼や離県時の送別会開催などの案内に関するものも含まれていました。
今回の調査では、副見個人の事績に関する資料は発見できませんでした。しかし、残された書簡の中に知事さらに鳥取県を取り巻く当時の状況を垣間見ることができました。他の書簡類も含めて、今後現代部会で内容の検討を行っていきます。
さて、これまで現代部会を担当した西村は今回で降板。4月から当館の清水に交替です。ひきつづきよろしくお願いします。
参考:国立国会図書館憲政資料室所蔵副見喬雄関係資料のうち「書簡の部」の差出人・点数一覧
番号 |
差出人 |
点数 |
備考 |
1 |
平泉 澄 |
1 |
歴史学者・皇国史観 |
2 |
平田 勲 |
1 |
思想検事 |
3 |
広瀬 久忠 |
6 |
内務官僚 |
4 |
広瀬 駿二 |
1 |
大蔵官僚・戦後 |
5 |
本庄 繁 |
1 |
第10師団長、軍事保護院総裁 |
6 |
福地 真三郎 |
1 |
工兵第110連隊長 |
7 |
妹尾 知之 |
1 |
関東軍需監理部 |
8 |
因伯芸術家懇話会 |
1 |
県人の在京芸術家団体 |
9 |
伊藤 斌 |
1 |
東亜研究所 |
10 |
伊沢 多喜雄 |
1 |
内務官僚 |
11 |
唐沢 俊樹 |
1 |
内務官僚・長野県出身 |
12 |
川西 実三 |
3 |
内務官僚・日本赤十字社 |
13 |
清浦 奎吾 |
1 |
首相・重臣 |
14 |
小早川 秋声 |
5 |
県人・日本画家 |
15 |
桑木 崇明 |
1 |
陸軍中将・軍医 |
16 |
正置 研 |
1 |
(不明) |
17 |
増谷 達之輔 |
1 |
上海市興亜院華中連絡部 |
18 |
宮崎 直勝 |
1 |
台北州郡主 |
19 |
森部 隆 |
1 |
台湾総督府内務局 |
20 |
中島 菜刀 |
3 |
県人・日本画家 |
21 |
西尾 寿造 |
3 |
県人・支那派遣軍総司令官 |
22 |
野村 愛正 |
1 |
県人・小説家 |
23 |
小川 郷太郎 |
1 |
戦後・外交官・静岡県出身 |
24 |
小川 全勝 |
1 |
県人・歩兵140連隊長・松江連隊区司令官 |
25 |
岡田 文秀 |
3 |
創価学会顧問 |
26 |
岡田 周造 |
2 |
内務官僚・栃木県出身 |
27 |
岡本 愛祐 |
1 |
警察官僚 |
28 |
大塚 惟精 |
1 |
内務官僚 |
29 |
斉藤 暁 |
1 |
内務官僚 |
30 |
澤田 虎蔵 |
1 |
県人・政治家 |
31 |
高野 佐三郎 |
1 |
剣術家 |
32 |
堤 三樹男 |
2 |
軍人・松江歩兵63連隊長 |
33 |
山田 玉田 |
1 |
僧侶・万福寺第45代管長 |
34 |
山口 季信 |
1 |
県人・傷痍軍人 |
35 |
安岡 正篤 |
5 |
陽明学者・思想家 |
36 |
湯沢 三千男 |
1 |
内務官僚・大臣 |
37 |
陳 耀祖 |
1 |
南京国民政府広東省政府主席 |
(西村芳将)
2011(平成23)年3月12日(土)に、新鳥取県史巡回講座「満蒙開拓と鳥取県」を倉吉体育文化会館で開催、開拓団・義勇軍参加者の方も含め41名にご参加いただきました。
巡回講座会場の様子
解説する小山富見男氏
講座では、鳥取県史ブックレット第7巻『満蒙開拓と鳥取県』執筆者である小山富見男氏(鳥取敬愛高等学校教頭)が同書の内容について解説、その後、活発な質疑応答が行われました。
平成22年度の第2回新鳥取県史編さん専門部会(考古)を、2011(平成23)年3月14日に開催しました。今年度の事業報告に続き、来年度の事業計画について、活発な協議が行われました。
考古部会での協議の様子
1日
資料調査(智頭町誌編さん室、西村・大川・足田)。
5日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、坂本)。
6日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、坂本)。
7日
9日
面影山古墳群現地確認(鳥取市正蓮寺、湯村)。
10日
民俗部会事前協議(米子市、樫村)。
12日
資料調査(~15日、国立国会図書館、水戸市内原義勇軍資料館、茨城県立歴史館、西村)。
17日
中世資料調査(~18日、国立公文書館、岡村)。
18日
19日
東海大学連携講座(東海大学エクステンションセンター、岡村)。
民俗(行商・市)調査(~20日、湯梨浜町・倉吉市、樫村)。
26日
研究発表会(島根県古代文化センター、岡村)。
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