陶磁器の種類
普段何気なく使っている器には、いろいろな種類があります。比較的低い温度で焼き上げた陶器(とうき)は、土の感触が残り味わい深いものです。土に含まれる鉱物が溶けてガラス化するほど高温で焼かれた磁器(じき)は、陶器に比べ水を通しにくく利便性に優れています。これらの焼き物をまとめて陶磁器(とうじき)と呼んでいます。
肥前陶磁器の誕生
日常の器である碗や皿をみると、中世の西日本では東海地方産の陶器(瀬戸焼:せとやき)のほかに漆器(しっき(注1))、土器が使われ、まれに輸入品の磁器が加わります。近世になると九州の肥前地方で焼かれ始めた陶器(唐津焼:からつやき)が西日本に流通します。碗や皿は一度に大量に生産するために、窯の中で積み重ねて焼かれます。この時、器どうしがくっつかないように、間に粘土の塊を置きます。こうした方法を胎土目積み(たいどめづみ)といい、唐津焼では16世紀末から17世紀初頭に採用されたことが分かっています。17世紀前半になると粘土の代わりに砂を敷く砂目積み(すなめづみ)という方法に変化します。 17世紀前半には肥前地方で磁器(伊万里焼:いまりやき(注2))生産が始まります。これは朝鮮陶工李参平(金ヶ江三兵衛)が肥前有田の泉山で始めたと伝えられています。磁器はそれまで器の主役であった陶器に比べて耐水性に優れ、また白地に青い文様が染め付けられた外観は当時の人々に新鮮な印象を与えたようで、以後、碗や皿は磁器主体となっていきます。
流行した陶磁器の文様
焼き物は時代によって流行があります。とくに18世紀以降は碗や皿の大きさや形、文様の種類などが多様化します。この時流行した文様のひとつに花びらをかたどった五弁花(ごべんか)文様があります。
(写真1)これは見込みと呼ばれる皿の内側に描かれたもので、18世紀に大流行します。
またコンニャク印判(注3)と呼ばれるスタンプ文様もこの時期に流行します(写真2、3)。
(写真2)
(写真3)これは見込みの五弁花文様をコンニャク印判で表現したものです。
染め付け文様は線で描いたり塗りつぶしたりして表現されますが、19世紀になると線書きのみのもの(素描き:すがき)が見られるようになります(写真4)。
(写真4)
これは当時の中国清朝の焼き物の影響があると考えられています。
かけらでも得られる情報
近世の遺跡を発掘すると大量の陶磁器が出土しますが、大部分は壊れたかけらです。しかし陶磁器のかけらからは、様々な情報が得られます。いつの時代のものか、どこで作られたものか、碗か皿か、磁器か陶器かといったことです。遺跡から出土する数千点から数万点に及ぶ陶磁器の破片を分類し数を数えることで、陶磁器の使われ方の変化が分かります。考古学が過去の歴史を解き明かす背景には、こうした地道な作業があるのです。
(注1)木製の器に漆を重ね塗りしたもの。
(注2)佐賀県の有田で焼かれたものが中心ですが、伊万里の港から出荷されたことから伊万里焼と呼ばれています。
(注3)コンニャク印判と名前がついていますが、実際には何を用いたか分かっていません。中国では牛の皮が使われたと言われます。
写真出典:鳥取市文化財団 2011『鳥取城跡籾蔵跡(第20次調査)』
(湯村 功)
1日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(鳥取県立博物館、渡邉)。
2日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、渡邉)。
6日
近代部会候補者との協議(~7日、京都市・上越市、岸本部会長・清水)。
9日
鳥取城フォーラムでの県史刊行物の販売(市民会館、清水)。
11日
史料調査(大山町教育研究所、渡邉)。
鉄器保存処理の協議(鳥取県教育文化財団調査室、湯村)。
13日
遺物借用(米子市埋蔵文化財センター、湯村)。
史料調査(日野町歴史民俗資料館、渡邉)。
資料調査(~14日、境港市史編さん室、清水・岡)。
16日
18日
第2回新鳥取県史編さん専門部会【近世】(公文書館会議室)。
史料調査(~19日、公文書館会議室、近世部会委員)。
19日
中世史料調査(~20日、鳥取県立博物館、岡村)。
20日
資料返却(日南町・日野総合事務所、樫村)。
21日
資料返却及び資料調査(境港市史編さん室・米子市内、渡邉)。
26日
県史編さんに係る協議(北栄町、岡村)。
古墳測量入札現地説明会(湯梨浜町、岡村・湯村)。
27日
考古部会事前協議(鳥取大学、湯村)。
「鳥取藩政資料」研究会(鳥取県立博物館、渡邉)。
民具調査(日野町歴史民俗資料館、樫村)。
資料調査(~28日、用瀬町歴史民俗資料館、湯村)。
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