はじめに
去る5月26日に、とっとり花回廊などを会場に第64回全国植樹祭が開催されました。この全国植樹祭は、豊かな国土の基盤である森林や緑に対する国民的な理解を深めるため、全国を巡回しながら毎年行われるもので、鳥取県での開催は1965(昭和40)年以来となるものです
(注1)。
私たちは日常生活の中で、どれくらい木々や緑を実感しているでしょうか。ちょっと疲れたときなどに森林浴に出かけ、「やっぱり自然はいいなあ」と感じ、あらためて木々の持つ癒やしの力を知ることもあるでしょう。
人々が自然と共生して生きていた弥生時代の集落は、どのような自然環境に囲まれていたのか。ここでは妻木晩田(むきばんだ)遺跡を例に、当時の周辺環境の復元と現在行われている遺跡の整備状況を通して紹介してみたいと思います。
周辺植生の今昔
妻木晩田遺跡の発掘調査では、火災で焼け落ちた住居跡が見つかっています。そうした住居跡からは炭化した建築資材が出土しており、分析によりスダジイ(常緑広葉樹)、クリ(落葉広葉樹)が建築材として多用されていたことが分かっています。こうした建築資材が集落周辺の森林から調達されたとすれば、弥生時代の妻木晩田遺跡は常緑広葉樹と落葉広葉樹の混交林に囲まれていたと考えられます。
一方、妻木晩田遺跡が立地する、通称「晩田山」には近代以降、燃料材や建築資材を目的としてアカマツが植林され、昭和を通じてアカマツの森がこの一帯の風景となっていました。ところがこの10年の間にマツクイムシ被害によって急速にアカマツの枯死が進行しました。そうした状況の中、妻木晩田遺跡の整備に先立って環境基礎調査が行われましたが、その調査によると現在では、多様な常緑広葉樹、落葉広葉樹が確認されており、人工的に植林されたアカマツ林が枯死した後は、弥生時代と同じ常緑広葉樹と落葉広葉樹の混交林が再生しつつあることがうかがわれます。
木々に囲まれた妻木晩田遺跡
保存整備活用の基本構想と基本計画
平成11年度から12年度にかけて、妻木晩田遺跡の保存と活用に関する基本構想が検討され、その成果は「妻木晩田遺跡保存活用基本構想」としてまとめられています。その基本理念の一つとして「県民をはじめ多くの人々にとって、豊かな自然の中で歴史の流れを感じられる憩いの場となることを目指す」ことが謳(うた)われています。これは晩田山のほぼ全域にあたる約152ヘクタールを保存できた妻木晩田遺跡ならではのもので、丸ごと山ひとつの歴史と自然を活かそうというものです。
さらに平成13年度から15年度にかけて、基本構想を具体化するための基本計画が検討され、「国史跡妻木晩田遺跡整備活用基本計画」としてまとめられました。ここでは整備計画地の区分けが示され、弥生時代の集落景観を復元する「遺構重点整備ゾーン」とそれを取り巻く「むきばんだの森」が提唱されました。「むきばんだの森」は生態系の自然な変遷を見守る空間としての「自然環境重点整備ゾーン」と、人と自然の接点としての「人と自然のふれあいゾーン」に分けられています。
妻木晩田遺跡整備の空間イメージ
遺跡整備の現状
妻木晩田遺跡の整備は、平成12年度から始まった初期整備に続き、平成17年度からは文化庁の史跡等総合整備活用推進事業及び史跡等埋蔵文化財公開活用事業に採択され、第1期整備が行われました。この第1期整備ではガイダンス施設
(注2)の建築、竪穴住居等の復元、史跡地内の整地・植栽工事などが進められ、「人と自然のふれあいゾーン」に位置づけられた妻木新山地区には、弥生時代の生活基盤として利用された森を体感し学習できるよう、「木の実の森」、「虫の森」が設置されています。
「木の実の森」は弥生人が食べたと思われる木の実(ドングリなど)がなる木の見本林として、コナラ、シラカシ、クリなどが植樹されています。「虫の森」はカブトムシやクワガタムシなどの昆虫の観察や採集ができるように、コナラ、クヌギなどが植樹されています。ともに積雪などによる枯れ木が発生しているようですが、植え替えも行いながら森の生育を見守っているところです。
おわりに
妻木晩田遺跡は弥生時代の集落とその周辺環境を丸ごと保存した、国内でも稀なケースです。継続して行われている発掘調査とその成果をもとにした遺構の整備や周辺の森林の育成とともに、ますます弥生時代にタイムスリップできる空間となっていくことでしょう。新緑のこの季節、ぜひ皆さんも弥生時代を体感してみてください。
(注1)公文書館では平成25年6月16日まで、企画展「昭和40年の全国植樹祭」を行っています。
(注2)遺跡の解説や見学者の動機付けを行う施設で、妻木晩田遺跡では遺跡の調査研究、情報発信機能を持つ拠点施設にもなっています。
(参考・引用文献)
鳥取県教育委員会『国史跡妻木晩田遺跡整備活用基本計画』(2003年)
鳥取県教育委員会『国史跡妻木晩田遺跡整備事業報告書』(2012年)
(湯村 功)
3日
史料調査(湯梨浜町宇野、渡邉)。
4日
資料(旧多里村役場資料)調査(公文書館会議室)。
6日
県史編さん協力員(古文書解読)東部地区月例会(県立博物館、渡邉)。
7日
県史編さん協力員(古文書解読)中・西部地区月例会(倉吉市・米子市、渡邉)。
9日
県史調査に関する協議(北栄町教育委員会、湯村・樫村)。
11日
史料調査(県立博物館、岡村)。
史料調査(県立博物館、渡邉)。
17日
資料調査の協議(大山町教育委員会、湯村)。
資料(旧多里村役場資料)調査(公文書館閲覧室)。
18日
史料調査(県立博物館、渡邉)。
民具調査(日野町歴史民俗資料館、樫村)。
19日
遺物実測図の校正(むきばんだ史跡公園、湯村)。
20日
資料(旧多里村役場資料)調査(公文書館閲覧室)。
21日
資料(旧多里村役場資料)調査。(公文書館閲覧室)。
22日
資料調査(智頭町教育委員会、湯村)。
25日
資料(旧多里村役場資料)調査。(公文書館閲覧室)。
古墳測量の協議(米子市教育委員会、湯村)。
民具調査(日野町歴史民俗資料館、樫村)。
26日
県史編さん事業の打ち合わせ(鳥取短期大学、清水)。
27日
資料(旧多里村役場資料)調査(公文書館閲覧室)。
28日
資料(旧多里村役場資料)調査(公文書館閲覧室)。
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