第142回県史だより

目次

近代鳥取における「天皇」と聖蹟

近代編の終わりにあたって

 『新鳥取県史資料編 近代』においては、旧『鳥取県史』においてはあまり取り上げられてこなかった分野、近年注目されるようになってきたテーマ、その後新たに発見された資料などを中心に編集することとした。その意味では旧県史を補完する位置づけとも言えるだろうが、今後の史料調査や研究成果の積み重ねを通じて改めて鳥取県史の全体像を構築していくことを強く念願したい。

 『新鳥取県史資料編 近代4 行政1』においては広く行政・経済・教育を中心に編集し、『新鳥取県史資料編 近代6 軍事・兵事』においては、鳥取県における明治・大正・昭和という時期を、「軍事」「兵事」の視点から捉え直そうしたものである。最後に、この平成30年3月に発刊する『新鳥取県史資料編 近代5』『同 近代7』については、それぞれの専門的な立場から、同様の方針のもとで行政・社会・宗教・産業・教育・文化についても取り上げた。近代の資料編を終えるにあたって、その全体を通じた成果や反省をきちんと実施していかねばならないという強い思いはあるが、とりあえず新たにどのような近代鳥取が県民の皆様に提供できるようになったのかについては、様々な方法で還元していきたいと思っている。

 ここでは、近代部会の編纂作業を終えるにあたって、私が担当した部分から一つのテーマを紹介したい。それは、近代の鳥取において、天皇・皇族・華族はどのようにとらえられているかという視点である。戦前の日本と比べてあまりに「天皇」に対するスタンスが変化し、戦後しばらくは研究の対象にすること自体が憚(はばか)られるような風潮があったことも事実であろう。しかしながら、近年においては政治・経済・社会的な側面だけでなく、宗教・文化的な面からも重要な研究が進められるようになってきた。多木浩二『天皇の肖像』(岩波現代文庫、2002年)や高木博志・山田邦和編『歴史のなかの天皇陵』(思文閣出版、2010年)に代表されるような多様な視点からのアプローチが試みられ、近代の天皇研究は飛躍的に進むようになってきた。こうした流れを踏まえて、本資料編においてもいくつかの史料を掲載することとした。

天皇の代替わりと鳥取県

 近代の天皇を鳥取県の歴史のなかから繙(ひもと)くことは限られてきた。おそらく、もっとも取り上げられてきたテーマは、東宮(後の大正天皇)行啓に関するものがほとんどと言っていいのではないだろうか。本資料編では、こうした視野をもっと広い史料などから収集することに努めた。

 まず資料編のなかでは、ほとんど取り上げられてこなかった天皇が没した際の対応について注目した。「大正天皇崩御につき気高郡瑞穂村長回答」(昭和二年三月、『大正十五年 御不例大喪ニ関スル書類 知事官房秘書係』鳥取県立公文書館蔵)では、大正天皇の崩御の知らせに接した村の様子を次のように伝えている。

一般村民ハ、此ノ報ニ接シ恐懼(きょうく)措(お)ク所ヲ知ラズ愁然トシ、最モ謹厳、各家弔旗ヲ掲ゲ、苟(いやしく)モ不敬言行ヲナス者ナキハ勿論、一同声ヲ呑ミ嗚咽シ慎ミ家居セリ

 村を挙げての追悼と悲しみが表現されている。ここに至る経緯について村の報告書では、「先帝御大漸(たいぜん)ノ報」が伝わり祈祷が始まったことから書き出されている。「大漸」とは天皇の病気が重くなることで、その平癒祈願が神社・寺院・各宗派の宣教所等あらゆる村の集団や個人に要請されていた。こうしたなかで、大正15年(1926)12月25日「崩御」の諸通達を受け、上記のような感情を村人たちは表明し、徹底した追弔と謹慎を実施したというのである。続いて翌年2月7日に実施された「斂葬(れんそう)の儀」についても「老若競ツテ参集、五百余名ニテ頗ル盛ニ最モ森厳・敬虔ノ式ヲ執行、老人等ニ嗚咽ノ声ヲ為スヲ見受ケタリ」とし、大雪のなかあらゆる人々が天皇の死を悼んだことが報告されている。また、倉吉高等女学校の回答には、終業式・始業式など様々な場面で追悼や訓話などを実施しており、これを確認する行政の徹底した姿勢こそが、国が望む天皇に対する国民のあるべき姿を象徴していると言えるだろう。

 「即位の礼」「大嘗祭」に関しても同様である。「資料編」で取り上げたように、この代替わりの式典の目的は次のように言われている。

一、即位ノ礼及大嘗祭ハ御一代ニ唯一度行ハセラルル国家最高ノ大典ニシテ、其ノ儀崇高・端厳タルヘキハ固ヨリ言ヲ待タサル所ナリ、念フニ、近時欧米ノ文化輸入セラレテ包容・同化、尚未タ完カラサルモノナキニアラス、此ノ大礼ノ機会ヲ以テ儀式ノ根底ニ存スル精神本義ヲ闡明(せんめい)シ、建国ノ由来国体ノ淵源ニ関スル国民ノ自覚ヲ一層深厚ナラシメ、以テ外来ノ文化ニ対シ我邦固有ノ精華ヲ発揮セシメムコト最モ希望ニ堪ヘサル所ナリ(『大正四年 御大礼饗饌関係 知事官房』鳥取県立公文書館蔵)

 つまり、代替わりの儀式を通じて日本国の由来を改めて確認し、その自覚を国民に対して持たせることが目的として謳われているのである。天皇と国民とのつながりをまさに演出する一大イベントなのである。

近代の地誌編纂と「天皇」聖蹟の浮上

 こうした天皇とのつながりを象徴するものは、一方的に国家から要請されるものばかりではない。明治の後半期から昭和戦前期にかけては、地域のなかで様々な地誌編纂が行われ、そのなかで自らの地域と「天皇」との関係を創り出そうとする動向がさまざまな分野で見られる。例えば、鳥取県域においては、安徳天皇伝説に関わるものがあげられよう。『中津遺跡略説』(大正13年 1924年)を編んだ平貞三郎は、次のように述べる。


余が家に父祖伝来古文書を蔵す、代々他見を許さざりしも、大正元年頃鳥取藩史編纂協賛会史料蒐集掛幹事岸本尚晴翁の依頼により始めて是を開放するの機会を得たり、戴する所、史伝とは大に其趣を異にせるも、後世或は湮滅に帰せんことを恐れ、祖先の遺書及遺物を公にして博雅諸君子の高教を請はんと欲す

 平家落人伝説に関わるものは全国に存在するが、秘伝の史料を公開することに踏み切ったのは、藩史編纂に関わることでもあった。また、安徳天皇伝説に関しては岡益の石堂がある。近代鳥取の歴史家である楢柴竹造(ならしばたけぞう、1861-1930)は、その「安徳天皇因幡国御潜幸事跡考」緒言で、調査する理由を次のように書き記している。

人皇八十一代安徳天皇ハ文治元年三月長門国壇浦ニ於テ御入水崩御遊ハシタリトハ国史ノ示ス所ナルモ、其実ハ当時某方面ニ御潜行セサセ給ヒタルニテ、現ニ御遺跡トシテ伝フルモノ全国十五個所ニ及ヒ、就中我因幡モ其一ニシテ岡益石堂・姫路墓地ハ其御遺跡ナリト伝称ス、予此ノ伝説・遺跡ニ対シ非常ナル敬虔ノ念ヲ払ヒ、或ハ実地ヲ調査シ、或ハ碑史籍ヲ捜求シ、其資料積ノ堆ヲ成ス、而テ此レニ拠テ古来伝説ノ決テ徒ニ徒爾ニ非サルヲ知リ、頗ル信念ヲ堅フスルニ至レリ(後略、大正三年正月八日)

 楢柴は、『岩美郡史』など多くの地誌を独自で編纂した人物であるが、こうした地誌編纂と、地域における天皇の「聖蹟」探しは一つの潮流になりつつあったことがわかる。これは、日露戦後以降の一つの大きな流れをなしている。このような人々の心性と絡みながら、近代日本の天皇は存在していったのである。

 「近代5」には、これ以外にも長慶天皇伝説(注1)に関わる史料も掲載している。これも非常に興味深いものである。このように、視点を変えてみれば、ある時代の歴史的背景のもとで、伝説も一つの鳥取県の歴史の流れの中に位置づけられるのではないだろうか。この県史においては、こうした社会的、文化的、宗教的な側面に重点を置いた史料も数多く準備している。今後新たな鳥取県像を考究していくためにも、こうしたテーマに是非触れていただきたい。

(注1)第98代(南朝3代)長慶天皇は、大正15年に在位を確認されたが、晩年の資料がなく、その終焉の地や陵墓に関して各地に伝承が並びたった。その中の一つとして鳥取県面影村の伝説が存在していた。

宮内庁が面影村の長慶天皇陵を調査したときの図面の写真
宮内庁が面影村の長慶天皇陵を調査したときの図面
(「鳥取県岩美郡面影村旧蹟取調図」宮内公文書館所蔵資料67268)

(新鳥取県史編さん委員会 近代部会長 岸本 覚)

活動日誌:平成30年1月

19日
資料調査(境港市民図書館・中浜小学校、西村)。
20日
第8回占領期の鳥取を学ぶ会(やまびこ館、西村)。
25日
民具調査に関する協議(倉吉博物館、樫村)。
27日
29日
資料再撮影・箇所確認等(鳥取市佐治総合支所、前田)。

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編集後記

 今回は、平成30年3月に『新鳥取県史』の「近代編」最終巻が刊行されるにあたって岸本覚近代部会長に近代鳥取における「天皇」について執筆いただきました。

 この原稿を拝読して、平成25年11月に新鳥取県史講演会として歴史学者・民俗学者である福田アジオ氏(国立歴史民俗博物館名誉教授)に「自治体史編さん事業とその成果の活用―民俗学者の視点から―」とした講演いただきましたが、その中の以下のようなお話を思い出しました。

 「皇国史観であった時代、天皇中心の支配体制で歴史が描かれるときには、地域の歴史というのはそれほど意味をもたなかった。意味があるとすれば常に何々天皇がやってきたとか、何かの時に天皇に味方したとかいう説明であった。そういうことでは地域の歴史というのはあまり研究されない。」(中略)「ある時代まで郷土史はお国自慢であって、自慢するところの歴史は中央、特に天皇との関係で、私たちも中央との結びつきがあるというものだった。」

 しかし近代史は、そのような近代天皇のあり方を、文書やかつての郷土史も資料として、文化史、思想史的に分析する段階に至っています。また福田アジオ氏は、新鳥取県史編さん事業のように「なぜ地方自治体は歴史を編纂するのかという根本的な問題がある」とおっしゃいました。「新鳥取県史編さん事業関係文書」が研究対象となったときどのような研究、評価がされるか考えると(まったく注目されない可能性もありますが)、関係した職員としては、少し楽しみでもあり、怖くもあります。

(樫村)

  

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