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鳥取藩の一般民衆が書き残した夢

はじめに

 平成29年度末に当室は、資料編5冊ブックレット1冊を刊行しました。近世部会は資料編「近世4 因幡上」「近世5 因幡下」の2冊を刊行し、これまで近世1 東伯耆」、「近世2 西伯耆上」「近世3 西伯耆下」と地域ごとに刊行してきた資料集が出揃いました。

 今回は、「近世5 因幡下」に収録された智頭郡用瀬宿・佐々木家文書から、あまり例がないと思われる、鳥取藩の民衆が書き残した夢の記録について紹介したいと思います。

「年内珍事記 六番」にみえる夢の記述

 夢の記述は、佐々木家文書中の「年内珍事記 六番(以下、「珍事記」と記す。)」という史料の中にみえます。

「珍事記」は、当時の佐々木家当主又兵衛が記した、文化元年(1804)1年間の私的な日記です。佐々木家は屋号を「玉屋」といい(注1)、代々智頭郡の大庄屋や宗旨庄屋などをつとめた家で、又兵衛も、安永7年(1778)から1年半ほど大庄屋を、文化6年(1809)から文政6年(1823)まで宗旨庄屋をつとめています。

 「珍事記」は、表紙に「六番」とある通り、一年一冊として何年もの間書き続けられました(注2)「近世5 因幡下」では文化元年分を収録しています。

 以下、「珍事記」にみえる夢の記述3点を紹介したいと思います。

夢1 社に蛇が這いあがる夢

 「珍事記」にみえる最初の夢の記述は、4月朔日(ついたち)の夜のものです。

【史料1】
 ゆめに、とこともなく所さたかならす、たつとき神のやしろに、小キへび御戸の内にそとよりはいあかりしゆめを見る、前後なく、やしろの中ニへびはいあがるのミのゆめ也(注3)

 何処ともなく場所も定かでない貴い神の社の御戸の内に、小さな蛇が外から這い上がる夢で、前後はなく、ただその場面のみを夢にみたといいます。この夢は吉事だと思われるので書き記したと述べています。

写真1
写真1 社に蛇が這い上がる夢の記述

夢2 上人から「喜」の字をもらう夢

 ふたつめは、2月の夢についてです(注4)

【史料2】
 神になく、仏になく、何も上人と見へて、私ニ喜ノ字ヲもらい候ゆめヲ見る、喜(キ)の字とハとこたへ申候へは、則サ也、よろこふという字也と被申候とゆめさめける

 神でもなく仏でもなく、上人のように見える人物から「喜」の字をもらった夢で、又兵衛が「「喜」の字とは何か」と尋ねると、「喜(よろこぶ)という字である」と言われたところで夢から覚めたといいます。

 これも不思議な夢なので書き残したと述べています。

夢3 鷹狩りをする夢

 最後は8月26日の夜のものです。

【史料3】
 いつくの山共不覚、定かたく、野山のよふな所ニて、土佐太と同道いたし、山はと程のたかヲとり、直ニ小鳥ヲとりてくわせ、かいちうニ入りて帰り、飛鳥ニあわせ小鳥ヲとらせ、なくさミいたすよふのゆめ見申候」とあります(注5)

 どこの山とも分からない野山のような所で、土佐太(注6)と同道して、山鳩ほどの大きさの鷹を捕り、鷹に小鳥を捕らせ、さらに懐に入れて持ち帰り、小鳥を捕らせて楽しんだとしたという内容の夢です。あまりに面白い夢なので書き記したといいます。

「易」で夢を占う

 以上、「珍事記」に記された夢の記述を紹介しました。これだけでも江戸時代の民衆が残した夢の記録として珍しいものと思われますが、又兵衛は、ただ夢を日記に書き残すだけでなく、「易」の知識を使って夢を占ったようです。

 「易」とは、中国の古典「五経」の一つです(注7)。漢の武帝の頃に現在の形にまとめられ、占いの書、思想・哲学の書という二つの性格を持つ書物として整えられたようです。

 「易」は「変化」という意味で、変化の中の法則性を象徴によってあらわしたものといいます。象徴とは「陰」と「陽」の二つで、陽は一本の線、陰は二本の線であらわし、これを「爻(こう)」と呼びます。「爻」を三つ重ねた八つの組み合わせを「八卦(はっけ・はっか)」、八卦を二つ重ねた六十四の組み合わせを六十四卦といいます。

 現在の「易」は、六十四卦それぞれについての占いの言葉である「経」と、その解説にあたる「伝」から成っています。

 又兵衛は、先に挙げた三つの夢のうち、夢1と夢3について、それぞれが六十四卦のどれにあたるかを占っています。

 それによると、夢1 社に蛇が這いあがる夢は、「地山謙」「艮為山」という卦、夢3 鷹狩りをする夢は「沢雷随」「沢火革」という卦だったようです。

写真2
写真2 夢1 社に蛇が這い上がる夢についての卦

 夢1については、後に判断するために記したとしか書かれていませんが、夢3については、「この夢を待ち望んでおり、占ったところ、吉兆の卦だった。一日事を革(あらた)めるのに良い。この夢が吉事であることを知った」「後にすこやかに成就するという卦だ」と記しています。

佐々木家に残る「易」の書物

 それでは又兵衛は、易の知識をどこから得たのでしょうか。佐々木家には古文書の他に古典籍も残されており、そのなかに、『古易一家言(こえきいっかげん)』という易に関する書物があります。

写真3
写真3 佐々木家に残る『古易一家言』(目次部分)

 『古易一家言』は、18世紀後半に京都で活躍し、その後加賀藩の藩儒となった儒学者新井白蛾(あらいはくが)が著したもので(注8)、宝暦6年(1756)9月に出版されています。

 序文は漢文で記されており、本文も専門的で、現代の我々には難解ですが、卦を取る方法や、八卦、六十四卦などについて記されています。おそらく又兵衛は、この書を読んで易の知識を得たと思われます。

 また、佐々木家には、享和3年(1802)に又兵衛が筆写したと思われる(注9)、六十四卦の説明(注10)などを一冊にまとめた帳面が残されています。この帳面は、表紙には八卦が記されるのみで表題がないので、ここでは仮に「六十四卦等書上」と呼んでおきます。

 先に、夢3 鷹狩りをする夢を占うと、一日事を革めるのによい卦だったと述べましたが、これは「沢火革」という卦にそのような意味があることが、両書を読むと分かります。

写真4
写真4 「六十四卦等書上」「沢火革」の説明
写真5
写真5 『古易一家言』「沢火革」の説明

 ところで、「六十四卦等書上」を『古易一家言』と比べてみると、『古易一家言』の説明を簡潔にまとめたようにみえる箇所もある一方で、そうとは思えない箇所もあります。

 また、「六十四卦等書上」と内容が一致するような書物を今のところ見つけられないため、これが何かの書物の抜粋なのか、あるいはある書物を又兵衛が独自にまとめ直したものなのかは現在のところ判断しかねます。いずれにしても、書物を読み、その抜粋を作る、あるいは要点をまとめ直すといった行動からは、又兵衛の旺盛な知識欲がうかがえます。

 なお、「珍事記」には、又兵衛が蹴鞠を楽しむといった記事もあり(注11)、又兵衛は幅広い事柄に通じていた文化人だったようです。

おわりに

 今回は、佐々木又兵衛が記した日記「珍事記」から、夢に関する記事を紹介しました。また、又兵衛は、ただ夢を書き残すだけでなく、書物から得た知識を使って、自身がみた夢にどのような意味があったのかを判断しようとしていたこともうかがえました。

 江戸時代は、中世までとは違い、庶民に至るまでが様々な事柄を書き残した文字の時代、広く民衆が様々な本を読めるようになった書物の時代と言われますが、そのことが鳥取藩の民衆の記録からもうかがえます。

(謝辞)資料の調査・掲載にあたっては佐々木清之助氏に格別の御配慮を賜りました。記して御礼申し上げます。

(注1) 「年内珍事記 六番」の裏表紙には「玉谷又兵衛 玄綱」と記されているが、正式な屋号の表記は「玉屋」で、「玉谷」という表記は又兵衛が一時期だけ使用した屋号の記し方。佐々木清之助氏のご教示による。

(注2)文政10年(1827)分の表紙に「弐拾八番」とあるので、少なくとも28冊はあったと思われるが、現存するものは12冊。

(注3)『新鳥取県史資料編 近世5 因幡下』481ページ。

(注4)同上。なお、【史料2】は【史料1】よりも早い時期のものだが、「珍事記」では【史料1】の後に続けて記されている。

(注5)『新鳥取県史資料編 近世5 因幡下』484ページ。

(注6)「土佐太」という人物については不明。

(注7)以下、易については、「易経」(国史大事典)、野間文史『五経入門』(研文出版、2014年)を参照。

(注8)新井白蛾については、奈良場勝『近世易学研究―江戸時代の易占―』(おうふう、2010年)第1部人物編「新井白蛾」がある。

(注9)奥書に「玉谷玄綱(花押) 享和弐年 亥閏正月写之」とあるが、亥年で閏正月があったのは享和3年。

(注10)実際には六十四卦の内六十二点の説明。

(注11)第123回県史だより

(八幡一寛)

県史編さん室のスタッフ紹介

 平成30年4月1日、県史編さん室に新たなメンバーが加わりました。

専門員 東方 仁史(ひがしかた ひとし)

担当:考古

 県埋蔵文化財センター(公益財団法人鳥取県教育文化財団派遣)から異動してきました。前々職の県立博物館時代に、県史編さん室の古墳測量や遺物再実測のお手伝いをしたこともあり、なじみ深い職場です。主に古墳時代を専門としており、来年度の『資料編 考古2 古墳時代』の刊行に向け、内容充実に力を発揮していければと思います。よろしくお願いします。


考古編集員 木地谷 京子(きじたに きょうこ)

担当:遺跡出土品の実測図及びトレース図作成、刊行物編集作業

 この度、考古編集員として遺跡出土品の実測図とトレース図の作成に携わることになりました。遺物の特徴を正確に表現できるよう努力したいと思います。どうぞよろしくお願いします。

活動日誌:平成30年3月

1日
田後漁業との打合せ(田後漁協、前田)。
2日
県史編さんにかかる協議(名古屋大学、岡村)。
3日
第10回占領期の鳥取を学ぶ会(鳥取市歴史博物館、西村)。
11日
現代資料検討会(公文書館閲覧室、西村)。
12日
民具調査事前協議(公文書館会議室、民俗部会調査委員・樫村)。
13日
民具調査(~14日、おぐら屋(岩美町岩井)、樫村)。
15日
現代部会資料調査(境港市立中浜公民館、西村)。
23日
第3回新鳥取県史編さん委員会(公文書館会議室)。

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編集後記

 新年度になりました。県史編さん室では異動等で3名が転出し、新たに2名を迎えました。新たな体制で県史編さん事業を進めていきますので、よろしくお願いします。

 さて今回は、近世の人が寝ていたときに見た「夢」と、それを使った「易」つまり占いの話です。近世の夢に登場するのが、「上人(高僧)」であったり、鷹狩りの「鷹」であったりして世相を感じさせます。現代でも正月の初夢で「一富士二鷹三茄子」を見ると縁起が良いなどは、一般的な話ですが、近世因幡人の夢の内容と占い方法がわかる点で興味深いものです。個人的な見解ですが、今日も鳥取県人は比較的占い好きと感じます。地域に豊作や豊漁を占う神事もかなりありますし、東伯郡では昭和50年くらいまでは財布を無くしたときなどに地元神社でどこを探せばいいか占ってもらった、智頭郡でも戦前に家を新築するのは何時がいいかお寺で占ってもらったなど耳にしました。また有名な青森県下北半島恐山のイタコも危機的状況と聞いていますが、鳥取県では某所にすごい占いをするおばあさんがいるなども今も耳にしています。とはいえ今日の占いは個人情報に触れるような内容も多く調査研究が難しい分野です。その点で今回紹介された近世史料の事例は、誰でも利用できる貴重な資料であると思います。

(樫村)

  

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